日本歴史地名大系 「和田村」の解説
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 静岡県:伊東市
- 和田村
伊東湾の湾曲部で北西を海に面し、西は
元禄郷帳によると高一八三石余。領主の変遷は文化八年(一八一一)まで岡村に同じで、同年旗本本多・大久保の相給となり幕末に至る(韮山町史)。伊東平野七村(伊東七郷と俗称)の中心的な村で、相模小田原藩領時代には陣屋が置かれた(伊東市史)。熱海から下田へ向かう東浦路の宿駅的存在で、公用旅行の先触で伊東泊とあるのは(「先触」加藤文書など)、和田村泊をさす。
和田村
わたむら
和田村
わだむら
現和田町海岸部のほぼ中央に位置し、南西は
元和元年(一六一五)には江戸と
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 鳥取県:米子市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
東は
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
明治三九年(一九〇六)から昭和三二年(一九五七)までの根室郡の自治体名。明治三九年和田・
和田村
わだむら
- 福島県:相馬市
- 和田村
東流する
和田村
くずわだむら
和田村
わだむら
- 福島県:須賀川市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 東京都:杉並区
- 和田村
和田村
わだむら
- 三重県:亀山市
- 和田村
亀山城下
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 東京都:多摩市
- 和田村
和田村
わだむら
- 長野県:小県郡
- 和田村
郡南部にある山間地帯の村。東は
村を東北から南西に和田川に沿う中山道(国道一四二号)は標高一五三一メートルの和田峠を越えて、下諏訪町に通じている(→和田峠)。途中
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 埼玉県:坂戸市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 山形県:南陽市
- 和田村
米沢盆地北部山麓の帯状の村。東は
和田村
わだむら
- 千葉県:成田市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 兵庫県:三木市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 長野県:長野市
- 和田村
東は
嘉暦四年(一三二九)の諏訪社上社の諏訪上宮頭役結番状(守矢文書)に「右頭、東条庄内和田郷和田三河入道」とみえ、東条庄に属し、和田三河入道の領知するところであった。明徳三年(一三九二)の「高梨薩摩守朝高并一族以下被付給人所々注文」(高梨文書)に、「一、水内郡和田郷并高岡等之事、(中略)彼所者、延文二年十月二十二日、亡父永高之時拝領畢」とあるように、延文二年(一三五七)高梨永高の所領となった。
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 愛知県:豊橋市
- 和田村
和田村
わだむら
東は
慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「和田村」とある。村名の由来は「当郡嶋末最初之地ニ而田地開候節わたみえ村と付居候故、和田村と名付候由」という(注進案)。平地が少なく峰続きの山地が多い。慶長一五年の検地帳によれば、総田畠数は二七町四反余、総石高二九四石一斗余、塩浜方一八石一斗余であった。「注進案」では総田畠数四七町六反余、総石高六三二石五斗余と倍増している。このうち石高四九七石二斗余は村上安房の知行で、残りは蔵入であった。総家数は一六五で本百姓は四九、うち本軒役は二、半軒役は三八、四半軒役九。
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
門前・
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 長野県:小諸市
- 和田村
小諸城下から
中世まではほとんど不詳。天正二年(一五七四)の大井文書に
古くは現
和田村
わだむら
倉敷往来沿いの村で、
和田村
わだむら
- 埼玉県:熊谷市
- 和田村
大里郡
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 兵庫県:西脇市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 福井県:鯖江市
- 和田村
二ノ和田と三ノ和田との境の小峠の西際に「お
和田村
わだむら
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わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 埼玉県:行田市
- 和田村
南は
和田村
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和田村
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遠山氏が支配した中世末期から近世初期には、遠山郷における唯一の城下町として発展した。現在も南信濃村の経済的・文化的中心をなしている。
村高は正保四年(一六四七)には一九八石余(信濃国絵図高辻)であったが、元禄一五年(一七〇二)には四九〇石余(信濃国郷帳)となり、その後五〇〇石前後で遠山地方最大の村落となった。
元和五年(一六一九)の和田分わた覚(千村文書)には、江戸時代の初期に下代(所の代官)遠山七郎右衛門が、代官千村氏の手代にわた年貢の納高を報じているが、この時期の当地方の「わた」が木綿か真綿のいずれであったのか、研究の余地が残されている。
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
明石川の右岸に位置し、南西は
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 島根県:安来市
- 和田村
安来町・安来村の東に位置し、西は
和田村
わだむら
- 千葉県:佐原市
- 和田村
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わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
初瀬村北方、初瀬川上流の曲流部に位置する。慶長郷帳の村高は一五〇・一九石。慶長五年(一六〇〇)織田有楽(長益)領。元和元年(一六一五)以降廃藩置県に至るまで戒重藩(のち芝村藩)領。
小字
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 静岡県:掛川市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 三重県:熊野市
- 和田村
和田村
わだむら
- 愛媛県:北条市
- 和田村
現松山市域に近い海辺の農村。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
和田村
わだむら
- 島根県:浜田市
- 和田村
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
- 栃木県:黒磯市
- 和田村
東は
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
和田村
わだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報