猪尾谷村(読み)いのおだにむら

日本歴史地名大系 「猪尾谷村」の解説

猪尾谷村
いのおだにむら

中世の大西だいさい庄内の村で、現在の猪尾・東谷ひがしだに周辺に比定される。嘉暦二年(一三二七)二月二四日の飯沼親泰和与状(佐草家文書)および同年四月二三日の六波羅下知状(同文書)に「猪尾谷村」とみえ、正和六年(一三一七)二月八日親泰(覚法)は妹源氏女に当村東方地頭職を譲ったが、のち譲与を後悔して押領したため、源氏女は鎌倉幕府へ訴出た。しかし嘉暦二年になって、覚法が妹に田一町五段・屋敷一所、野畠・漆以下を譲ることなどで決着がついている。なお猪尾谷西方地頭は総領飯沼左衛門五郎入道であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 当知行 大西

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む