日本歴史地名大系 「大原郡」の解説
大原郡
おおはらぐん
〔古代〕
「出雲国風土記」の郡名伝承に「郡家の東北一十里一百一十六歩に、田一十町許ありて、平原なり。故、号けて大原と曰ふ」とあり、「和名抄」東急本国郡部では「於保波良」とよむ。出雲国庁跡出土木簡に「大原評」、長屋王家木簡に「出雲国大原郡矢代里」とみえる。風土記は
「延喜式」神名帳には小一三座が記され、宇能遅神社(風土記では宇乃遅社、現加茂町宇治の宇能遅神社に比定)、同社坐須美禰神社(風土記では汗乃遅社、現加茂町宇治の宇能遅神社に合祀)、神原神社(風土記では神原社、現加茂町神原の神原神社に比定)、八口神社(風土記では矢口社、現加茂町神原の八口神社に比定)、御代神社(風土記では御代社、現加茂町三代の御代神社に比定)、布須神社(風土記では布須社、現加茂町延野の布須神社に比定)、斐伊神社(風土記では樋社、現木次町里方の斐伊神社に比定)、同社坐斐伊波夜比古神社(風土記では樋社、現木次町里方の斐伊神社に合祀)、来次神社(風土記では支須支社、現木次町木次の来次神社に比定)、加多神社(風土記では加多社、現大東町大東の加多神社に比定)、佐世神社(風土記では佐世社、現大東町下佐世の佐世神社に比定)、西利太神社(風土記では世裡陀社、現大東町清田の西利太神社に比定)、海潮神社(風土記では得塩社、現大東町南村の海潮神社に比定)がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報