猿瀬(読み)さるぜ

日本歴史地名大系 「猿瀬」の解説

猿瀬
さるぜ

岩瀬いわせ川北岸の東猿瀬・西猿瀬を遺称地とする。天正四年(一五七六)八月島津義久軍の高原たかはる(現高原町)攻略に向かい、高原救援に発した伊東義祐の軍勢は二〇日、猿瀬に陣をとった(「島津国史」など)。「上井覚兼日記」同年八月二〇日条には「然者敵纔之勢にて猿瀬之上ニ夜を明とハ見得けれ共、御陳之猛勢ニ可懸様躰更なし」などと記される。翌二一日高原城の伊東勘解由は島津方に降り、翌二二日の城明渡しの交渉で猿瀬の上に布陣している伊東衆へ城を明渡す旨の書状を持った使僧を送ることを望んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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