日本歴史地名大系 「野尻町」の解説 野尻町のじりちよう 宮崎県:西諸県郡野尻町面積:八八・八六平方キロ郡の中央部に位置し、北は須木(すき)村・東諸県郡綾(あや)町、東は同郡高岡(たかおか)町、南は北諸県郡高城(たかじよう)町・高崎(たかざき)町と高原(たかはる)町、西は小林市に接する。地質は姶良カルデラ・日向ローム層よりなる。北部は九州山地南端の丘陵が連なり、南半は南端を東流する岩瀬(いわせ)川北岸の低地からなる北高南低の地形である。岩瀬川は南東部で大淀川に注ぎ、さらに東流する。北部の標高五〇〇―六〇〇メートルの丘陵に源をもつ城之下(じようのした)川・戸崎(とさき)川・石瀬戸(いしぜと)川・秋社(あきしや)川などは姶良カルデラのシラス台地を浸食して南東流して岩瀬川・大淀川に入る。国道二六八号が町域のほぼ中央を東西に走る。大字紙屋(かみや)の紙屋城址遺跡では弥生時代後期の竪穴住居跡が検出されている。大字三(み)ヶ野山の大萩(のやまのおおはぎ)地下式横穴墓群は、五世紀後半から六世紀前半に造られた一大群集墓であり、蛇行剣・武具・工具・農耕具・装身具・馬具など多量の副葬品を出土している。同群の一部を含む野尻町古墳は昭和八年(一九三三)県指定史跡となった。律令制度の国郡制のもと、当町域は諸県郡に属したが、何郷であったかは不詳である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by