日本歴史地名大系 「玄桂屋敷」の解説 玄桂屋敷げんけいやしき 東京都:文京区旧本郷区地区玄桂屋敷[現在地名]文京区湯島(ゆしま)四丁目湯島切通(ゆしまきりどおし)町の北に位置する。下谷茅(したやかや)町(現台東区)の通りの片側町で、通りを挟んで北は池之端仲(いけのはたなか)町・下谷茅町一丁目・福成(ふくじよう)寺境内(現同上)、東は備中庭瀬藩板倉家上屋敷、西は越後高田藩榊原家下屋敷。かつては湯島郷の一部であったという。のち年代は不詳だが医師中村玄桂の拝領町屋敷となり、貞享五年(一六八八)沽券地となった。町名は中村玄桂に由来。文政町方書上によれば、町内は南北表間口が田舎間で一一間余、裏幅は同じく一六間、東西は北側が田舎間で二一間余、南側が同じく二七間余、総坪数は三三二坪余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報