玉本町
たまもとちよう
南北に通る油小路通(旧油小路)を挟む両側町。町の北側は正面通(旧七条坊門小路)に、南側は北小路通(旧北小路)にも面する。
平安京の条坊では、左京七条二坊三保一一町東側と一四町西側の地。平安時代中期、当町東側は宇多上皇の御所亭子院の地であった(拾芥抄)。
近世には西本願寺の寺内町となり、寺内九町組のうち若松組に所属。寺内町が開かれて以来の古町の一つ。なかでも権威のある「由緒町」とよばれた。また毎年一一月の御法事に際し、他町より多い提灯二張(一張につき銭五五〇文の代銭納)を献上(「寺内歳時記」村上文治家文書所引)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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