玉田玉秀斎(読み)タマダ ギョクシュウサイ

20世紀日本人名事典 「玉田玉秀斎」の解説

玉田 玉秀斎(2代目)
タマダ ギョクシュウサイ

明治・大正期の講談作家



生年
安政3年(1856年)

没年
大正8(1919)年

出生地
京都

本名
加藤 万次郎

別名
号=玉麟

経歴
京都の神職の家に生まれ、のち大阪に移り、錫職人となる。幼児より講談を好み、初代玉田玉秀斎の門に入り、玉麟と号す。明治29年四国の今治に巡業中に山田敬と知り合い、駆け落ちして大阪に帰る。その後速記講談に移り2代目玉田玉秀斎を襲名。その口演速記を敬の長女・寧、長男・阿鉄(号は酔神)、三男・顕、四男・唯夫、寧の娘(池田蘭子)の一族で執筆・編集、明治44年以来の立川文庫となった。制作集団のペンネームに“雪花山人”、“野花散人”などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の玉田玉秀斎の言及

【猿飛佐助】より

…甲賀流忍術の名人とされる伝説上の人物。玉田玉秀斎による創作講談《忍術名人猿飛佐助》の主人公であるが,1911年に刊行された〈立川文庫〉により大衆のあいだに定着した。戸沢白雲斎に忍術をならい,真田幸村につかえ,いわゆる真田十勇士の一人として活躍するが,大坂夏の陣に討死したことになっている。…

【神道講釈】より

…神道講釈は天保の改革にも保護され,明治に入ってからも大阪に玉田玉枝斎・玉秀斎・玉芳斎の三兄弟があって活躍した。また,明治末から大正期に絶大な人気を博した立川文庫は,京都の社家出身の2代玉田玉秀斎(加藤万次郎)の手によって生まれたものである。【関山 和夫】。…

【立川文庫】より

…四六半截判,立川文明堂(大阪)刊,定価25銭。初めは京都出身の講釈師玉田玉秀斎の口演を,後妻の山田敬と連れ子の阿鉄(おてつ)ら創作集団が雪花散人,野花散人などの筆名で採録していたが,やがて口演速記だけでなく新しく書き起こしたものも加え,その第40編において《猿飛佐助》(1914)という新しいヒーローを生み出した。当時の青少年に歓迎され,大衆文学の一源流となり,また時代劇映画の素材ともなった。…

※「玉田玉秀斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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