瓦屋庄(読み)かわらやのしよう

日本歴史地名大系 「瓦屋庄」の解説

瓦屋庄
かわらやのしよう

天治二年(一一二五)二月日付法勝寺政所下文案(東大寺図書館本倶舎抄裏文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、白河天皇の御願寺法勝ほつしよう(跡地は京都市左京区)領であった。なお、同年月日付の同政所下文案(同文書)に右とほぼ同文のものがあり、当庄にかかわるものと考えられるが、その端裏には「法勝寺御公文案御油庄余田」とあり、「瓦屋御庄余田」の代りに「丹波国御油御庄余田」と記されている。また仁安二年(一一六七)のものと思われる権大僧都某書状(京都大学所蔵「兵範記」仁安三年二月巻裏文書)に、

<資料は省略されています>

とみえ、当荘が公事物として油や細工物を課せられていたことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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