甘利下条(読み)あまりしもじよう

日本歴史地名大系 「甘利下条」の解説

甘利下条
あまりしもじよう

戦国期にみえる地名で、かつての甘利庄のうち北西部を甘利上条と称したのに対し、南東部一帯をさしたものと考えられる。近世には下条西割しもじようにしのわり・同中割・同東割・同南割の四ヵ村に分立したと思われるが、史料上は下条北割の地名もみえる。天正一一年(一五八三)四月一八日の徳川家康印判状写(社記)によると甘利下条内の一八貫七五〇文などが甘利南宮なんぐう(現南宮大神宮)に安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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