日本歴史地名大系 「下条西割村」の解説 下条西割村しもじようにしのわりむら 山梨県:韮崎市下条西割村[現在地名]韮崎市大草町下条西割(おおくさまちしもじようにしわり)上条東割村の南、釜無川の右岸段丘上に位置する。地名は中世の甘利(あまり)庄を上・下に区分し、さらに下分を東・西・中・南・北に分割したうちの西分にあたることによるといい、集落は大門(だいもん)・清水(しみず)・冷間(ひえま)・川崎(かわさき)・下条の五つからなる。慶長古高帳では高二三三石余、幕府領。ほかに苗敷(なえしき)山(現穂見神社)領七石余。永岳(えいがく)寺領二四石余。慶長六年(一六〇一)の検地帳(県立図書館蔵)によると反別は麦田一町八反余・上田一町二反余・中田二町一反余・下田二町三反余・下々田一町二反余、上畑一町三反余・中畑一町九反余・下畑二町二反余・下々畑二町四反余、屋敷四反余・永荒地一一町一反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by