日本歴史地名大系 「生地台場跡」の解説 生地台場跡いくじだいばあと 富山県:黒部市芦崎村生地台場跡[現在地名]黒部市生地芦崎黒部川河口の南、越湖(えつこ)浜の南西隅の真端(まはな)にある砲台跡。県指定史跡。もとは槍(やり)が崎と称した富山湾では最も突出した生地鼻(いくじはな)灯台の近くで、西は富山湾に臨み、かなたには氷見(ひみ)の山々、北に能登半島の先端を望む。嘉永三年(一八五〇)八月加賀藩は外国船の来航に伴い、海防のため領内海辺一三ヵ所に大筒台場を築造することを決定し、越中国では伏木(ふしき)(現高岡市)・放生津(ほうじようづ)(現新湊市)・当地の三ヵ所に設置することになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by