富山県高岡市,富山湾岸の一地区。小矢部川の河口左岸に発達した旧射水(いみず)郡の港町。古代には越中国府に近く,曰理(わたり)駅,曰理湊もこのあたりと考えられるが,地名の初出は1580年(天正8)。1615年(元和1)に加賀藩より佐渡商売船13艘の許可を受けた。56年(明暦2)の〈村御印(むらごいん)〉によると定小物成として網役,唐網役,猟船櫂役(かいやく),外海船櫂役などが課されており,漁業が中心であった。1661年(寛文1)ころから加賀藩の米蔵が置かれ,越中からの大坂廻米の積出港となり,また加賀藩の津留(つどめ)の取締場所として重要視され,越中の代表的港町に発展,船問屋,船宿,小宿があった。1858年(安政5)の移入品に筒鰊50万束,干鰯(ほしか)3万俵,綿6300駄のほか蠟,砂糖,鉄,木材などがあった。戸口は1690年(元禄3)195戸,1858年には524戸,2345人であった。75年以来汽船が入港し,99年に開港場の指定を受け,中越鉄道(現,JR氷見線)が開通。1908年に北陸人造肥料が開業し急速に臨海工業地帯として発展した。42年高岡市に編入。
執筆者:高瀬 保
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…早くから開け,東大寺の荘園であったことが《正倉院文書》に記録されている。小矢部(おやべ)川河口の伏木には越中国府,国分寺が置かれた。江戸初期この地に築城した前田利長が砺波(となみ)郡西部金屋(にしぶかなや)村から招いた7人の鋳物師(いもじ)によって始められた鋳物製造は,高岡が銅器,梵鐘,なべ,かまなど金属製品の製造によって繁栄する基礎となった。…
※「伏木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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