精選版 日本国語大辞典 「氷見」の意味・読み・例文・類語
ひみ【氷見】
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氷見地方は「万葉集」の重要な舞台であったが、氷見という地名が「万葉集」にみえるのは、大伴家持、天平一九年(七四七)九月二六日作の鷹放逸の長歌(巻一七)に「都奈之取る比美の江過ぎて」と歌われた一首のみである。長歌の道行き的記載からみて、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山県北西部の市。1952年市制。人口5万1726(2010)。能登半島の基部の東半分を占め,東は富山湾に臨み,北と西は石動(いするぎ)山,宝達(ほうだつ)山を主峰とする低い山地をはさんで石川県に接する。仏生寺(ぶつしようじ)川,上庄(かみのしよう)川,余川川,阿尾川などが東流し,下流に肥沃な沖積平野を形成している。中心の氷見は古くから漁業が盛んで,漁港を中心に町が形成されていった。現在の漁港は市街地の北部上庄川河口にあるが,もとは市街地中央部の湊川河口にあり,近世から明治にかけて湊川の中の橋周辺に魚市場,魚問屋,小売商が集中し,町の中心としての活況を呈した。しかし1868年(明治1)の新窪川の開削により湊川の水量が減じて河港としての機能が低下したため,1923年から28年にかけて現在の氷見港がつくられた。内陸の山間部は耕地が少なく,江戸時代の農民は副業として青銅製の鏡をみがく鏡磨(かがみとぎ)や小間物の行商人として各地に出かけていた。現在も出稼ぎが多い。海岸は能登半島国定公園に指定された景勝の地であり,朝日貝塚,境洞窟など国指定の史跡がある。南部の十二町潟はオニバスの発生地(天)として知られる。JR氷見線,国道160号線が通じる。
執筆者:藤森 勉
《万葉集》に〈比美之江〉と記される。越中と能登を結ぶ交通の要地で,近世には宿場町として駅馬17疋がおかれ,町奉行が支配した。町の構成は中央に流れる湊川を境に北町,南町に区分されていたが,元禄(1688-1704)ころ前者は湊,本川,中,北新の4町に,後者は南上,南中,南下の3町に分かれ,この7町をもって本町を形成し,他を散町(ちりまち)と呼び区分した。寛文(1661-73)のころ氷見地方の年貢収納蔵,給人蔵宿がおかれ,米の集散地となり港町としても栄えた。漁業も盛んで地先に敷設された定置網は1637年(寛永14)以来,本町が経営し鬮網という特殊な慣行があった。戸数は1690年に1243戸,1836年(天保7)に1933戸であった。1896年に氷見郡役所がおかれた。明治末年に日高式大敷網の敷設に成功したことは有名。
執筆者:高瀬 保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…以後廃藩に至るまで越中は加賀藩と富山藩の支配下にあった。中世から続いている近世の町は,守護所のあった放生津,戦国期に城郭のあった富山・魚津,同期に港町であった氷見(ひみ),真宗瑞泉寺の門前町であった井波がある。近世には富山は城下町,魚津,放生津,氷見は港町,井波は門前町として栄えた。…
※「氷見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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