日本歴史地名大系 「生平村」の解説 生平村おいだいらむら 愛知県:岡崎市生平村[現在地名]岡崎市生平町村域北部は男(おと)川が東から西に流れ、男川右岸沿いに作手(つくで)道が通る。乙(おと)川が北から流下して村域内で男川に合流する。集落は男川左岸の河岸段丘に立地。東は桜井寺(さくらいじ)村(現額田郡額田町)、西は小美(おい)村・保母(ほぼ)村、南は池金(いけがね)村、北は茅原沢(ちはらざわ)村・秦梨(はたなし)村と接する。中世、男川(おとがわ)庄に属すという。永徳二年(一三八二)源信氏より片寄(かたよせ)郷(現額田町)天恩(てんおん)寺への寄進状(永源寺文書)に「参河国額田郡内片寄郷并大多伊良 次矢作東宿内在家」とあり「大多伊良」と記される。しかし応永二一年(一四一四)足利義持の同寺寄進状(同文書)には「大多伊良」は除かれている。延徳四年(一四九二)に蓬生(よもぎゆう)の小島大蔵丞宛の松平栄金・同親貞の領地安堵状写(小島家文書)に「おい平郷内之事」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by