生穂庄
なまりほのしよう
現津名町中央部北寄りの生穂一帯に比定される京都賀茂別雷社(上賀茂社)領の庄園。「中右記」保安元年(一一二〇)四月六日条によると、「生穂庄」は先年毎日の供御のため、宣旨をもって立てられた庄園であったが、その後国司が他の郷に移し立てた。しかるに保安元年官使は国内の新立庄園の整理を行い、その過程で当庄は再びもとの郷に戻されることになった。ところがその際官使友兼と国司目代国元らは神宝を投棄し、神殿を破損するなどの乱暴を働いたため、「当庄滅亡」という事態を招いたとして上賀茂社別当から訴えが出された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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