生駒親敬(読み)いこま・ちかゆき

朝日日本歴史人物事典 「生駒親敬」の解説

生駒親敬

没年:明治13.9.9(1880)
生年嘉永2.11(1849)
幕末維新期の大名。生駒家は旗本交代寄合の家柄であり,出羽国矢島領(秋田県由利郡矢島町)8000石を領し,13代の親敬は安政2(1855)年に襲封。江戸で生まれる。父は親道,母は唐津藩(佐賀県)藩主小笠原長泰の娘。初め大内蔵を称し,のち讃岐守。慶応4(1868)年の東北戊辰戦争では秋田藩に与同し,庄内出兵では佐幕派の鶴岡藩と戦ったが陣屋所在地の矢島を攻撃され,秋田へ後退を余儀なくされた。11月7000石を加増され,1万5000石余の大名となった。のち矢島藩知事。東京で死去早くから尊王の志を持ち,小藩ながらその意思を貫き通した。<参考文献>『贈位諸賢伝』上

(長谷川成一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生駒親敬」の解説

生駒親敬 いこま-ちかゆき

1849-1880 幕末-明治時代の旗本,大名。
嘉永(かえい)2年11月7日生まれ。安政2年出羽(でわ)生駒家の12代をつぎ,幕府の交代寄合衆となる。戊辰(ぼしん)戦争で新政府軍にくみし,戦功により1万5200石に高直しされ,明治元年出羽(でわ)矢島藩(秋田県)藩主となる。明治13年9月9日死去。32歳。

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