用沢村(読み)ようさわむら

日本歴史地名大系 「用沢村」の解説

用沢村
ようさわむら

[現在地名]小山町用沢

佐野(さの)川を挟んで一色(いしき)村の北、西から東に緩やかに傾斜する台地上に位置する。慶長一九年(一六一四)幕府代官長野九左衛門が発給した年貢割付状(遠藤家文書)に村名がみえ、高二八一石余。元和四年(一六一八)、同七年の年貢割付状(いずれも同文書)でも高は同じ。寛永三年(一六二六)から同九年までの徳川忠長の重臣村上三右衛門が発給した年貢割付状(いずれも同文書)では高一六一石余と一二〇石の減石となっている。しかし同九年の割付状(同文書)はもう一通伝存し、発給者は松波市右衛門・水上清太夫・於薗新右衛門で、村高は一二〇石となっている。うち松波氏と水上氏は忠長家臣として駿河亜相附属諸士姓名、駿河在番大御番姓名(静岡県史)に名前がみえるから、当村は忠長領時代、相給村だったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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