駿東郡
すんとうぐん
面積:一六九・五〇平方キロ(境界未定)
清水町・長泉町・小山町
県の東部に位置する。御殿場市・裾野市によって南北に分断され、北部に小山町、南部に清水町・長泉町がある。近世以前は駿河国に属し、古代・中世には駿河郡と称し、戦国期以降に駿東郡とよばれるようになった。天文二〇年(一五五一)九月二一日の今川義元判物(定輪寺文書)に「駿河国駿東郡大岡庄桃薗定倫寺」とあるのが、現在知られている史料では、郡名のみえる比較的早期のものである。近世までの郡域は駿河国の東端を占め(このことが郡名の由来とされる)、北は富士山・籠坂峠・三国山と続く山稜を境として甲斐国と、東は不老山・箱根外輪山の山並を境に相模国と、久保田川・境川の流れを境に伊豆国と、西は富士山・愛鷹山の稜線を境に富士郡とそれぞれ接し、南は海(駿河湾)に面していた。現在の小山町・御殿場市・裾野市・長泉町・清水町のほぼ全域と、南部を除いた沼津市域、田方郡函南町の一部、富士市の東部などに相当する。箱根外輪山や富士・愛鷹山麓の水を集めた黄瀬川が郡の中央部を貫流し、郡の南部で狩野川に注ぐ。また郡域の北部は鮎沢川の流域で、同川は酒匂川となって相模湾に注いでいる。
〔古代〕
古代には駿河郡と称し、訓は「和名抄」東急本国郡部に「与国同」とある。また「延喜式」神名帳の駿河郡の記載に「スルカ」の訓がみられる。スルガは「国造本紀」にみえる珠流河国造にちなむ郡名で、国名と同名、汁処(沼の地を意味する)・州ル処(砂洲のある所)などが語源との説もあるが未詳。「和名抄」東急本には駿河郡の郷として、柏原・矢集・子松・古家・玉造・横走・駿河・山埼・宍人・永倉・宇良の一一郷がみえる。元和古活字本・高山寺本もともに一一郷だが、高山寺本・名博本は玉造を玉作に、元和古活字本・名博本は宍人を完人にそれぞれつくる。駿河郡の郡名は年代未詳(大宝令以前の評制下)の藤原宮跡から出土した木簡に「□評柏原里玉作下□」(「藤原宮木簡」一―二一一)とみえるのが早く、柏原里は「和名抄」の柏原郷に相当しよう。また天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡に「駿河郡宇羅郷榎浦里」(「平城宮木簡概報」二二―二三頁)など同郡の郷里がみえる。天平宝字二年(七五八)の平城宮跡出土木簡に「駿河郡子松郷」がみえ(同概報一九―二一頁)、同四年一〇月の平城宮跡出土木簡に「駿河郡古家郷」がみえる(同概報四―一九頁)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報