日本歴史地名大系 「駿東郡」の解説
駿東郡
すんとうぐん
県の東部に位置する。御殿場市・裾野市によって南北に分断され、北部に小山町、南部に清水町・長泉町がある。近世以前は駿河国に属し、古代・中世には駿河郡と称し、戦国期以降に駿東郡とよばれるようになった。天文二〇年(一五五一)九月二一日の今川義元判物(定輪寺文書)に「駿河国駿東郡大岡庄桃薗定倫寺」とあるのが、現在知られている史料では、郡名のみえる比較的早期のものである。近世までの郡域は駿河国の東端を占め(このことが郡名の由来とされる)、北は富士山・
〔古代〕
古代には駿河郡と称し、訓は「和名抄」東急本国郡部に「与国同」とある。また「延喜式」神名帳の駿河郡の記載に「スルカ」の訓がみられる。スルガは「国造本紀」にみえる珠流河国造にちなむ郡名で、国名と同名、下□」(「藤原宮木簡」一―二一一)とみえるのが早く、柏原里は「和名抄」の柏原郷に相当しよう。また天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡に「駿河郡宇羅郷榎浦里」(「平城宮木簡概報」二二―二三頁)など同郡の郷里がみえる。天平宝字二年(七五八)の平城宮跡出土木簡に「駿河郡子松郷」がみえ(同概報一九―二一頁)、同四年一〇月の平城宮跡出土木簡に「駿河郡古家郷」がみえる(同概報四―一九頁)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報