田中香苗(読み)タナカ カナエ

20世紀日本人名事典 「田中香苗」の解説

田中 香苗
タナカ カナエ

昭和期の新聞人 元・毎日新聞社長。



生年
明治37(1904)年10月15日

没年
昭和60(1985)年10月13日

出生地
香川県

学歴〔年〕
東亜同文書院〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
ユーゴスラビア旗勲章二等〔昭和43年〕,オフィシェ章(フランスの国家功労章)〔昭和45年〕,勲一等瑞宝章〔昭和50年〕

経歴
昭和4年毎日新聞社入社。東亜部長、調査室長、西部本社代表を経て、31年取締役、35年常務、36年専務・編集主幹、43年会長・主筆兼編集主幹。47年最高顧問。49年11月から51年2月まで社長。また、47年8月から49年5月まで東亜国内航空の会長として、墜落事故のあった同社の再建尽力。第一線記者時代、満州事変など歴史的事件の数々を報道、又アジア中国問題に注目し「アジア時報」を刊行、のちに熊野元一橋教授のあとを継ぎ「熊野中国語大辞典」をまとめるなど、国際上、文化上、数々の功績を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中香苗」の解説

田中香苗 たなか-かなえ

1904-1985 昭和時代の新聞経営者。
明治37年10月15日生まれ。昭和4年「大阪毎日新聞」記者となり,毎日新聞社東亜部長,専務・編集主幹,会長・主筆兼編集主幹をへて49年社長。アジア調査会副会長,東亜国内航空(現日本エアシステム)会長をつとめた。昭和60年10月13日死去。80歳。香川県出身。東亜同文書院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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