日本歴史地名大系 「田光村」の解説 田光村たびかむら 三重県:三重郡菰野町田光村[現在地名]菰野町田光釈迦(しやか)ヶ岳(一〇九二・二メートル)北東の麓に位置し、朝明(あさけ)川支流田光川が村の北を東流する。巡見街道が村のほぼ中央を南北に走る。西には切畑(きりはた)村、南には杉谷(すぎたに)村がある。「和名抄」に田光郷と出る。中世には八風(はつぷう)越の要地であり、一六世紀には、この地に近江国沓掛(くつかけ)・小幡(おばた)・保内(ほない)・石塔(いしどう)の四本商人に属する足子商人「杉谷屋、小五郎、次郎左衛門尉」の名前がみえる(「丹生川太郎兵衛書状」今堀日吉神社文書)。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳によれば、溝口五右衛門がこの地で四五〇貫文を知行していた。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)以降武蔵忍(おし)(現行田市)藩領、天保一四年(一八四三)以降幕府領として信楽(しがらき)(現滋賀県)代官所支配、安政元年(一八五四)以降再び忍藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by