田富町(読み)たとみちよう

日本歴史地名大系 「田富町」の解説

田富町
たとみちよう

面積:九・七〇平方キロ(境界未定)

郡南東部にあり、南を笛吹川が西流し、対岸は西八代郡市川大門いちかわだいもん町・三珠みたま町、西を釜無川が南流し、対岸は若草わかくさ町・甲西こうさい町。当町南西で両川は合流する。北は昭和しようわ町、東は玉穂たまほ町。東部を主要地方道甲府―市川大門線が南北に、町の中央を主要地方道韮崎―櫛形くしがた豊富とよとみ線が東西に走る。JR身延線が東部を南北に通る。笛吹川の支流空穂うつぼ川・いま川が南流し、笛吹川の堤の後ろを並流する鎌田かまた川に注ぎ込み、鎌田川は今福いまふく南部で笛吹川に合流する。釜無川支流の常永じようえい川が南流し、臼井阿原うすいあわらで釜無川に注ぐ。かつては笛吹川・釜無川に挟まれた氾濫原であったため、原始・古代の遺跡は見当らない。古代末期には安楽寿あんらくじゆ(現京都市伏見区)小井河こいかわ庄、東北とうほく(現京都市上京区)布施ふせ庄が存在し、鎌倉時代まで併存する。戦国時代末期から町内にかかわる地名・人名が史料に多くみえるようになり、永禄四年(一五六一)の番帳に「ふせ」「はなわ」「今福」が載り、「一蓮寺過去帳」に「鼻和」がみえる。花輪はなわ郷は天正一〇年(一五八二)頃までに東・西に分村している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報