鎌田(読み)かまた

日本歴史地名大系 「鎌田」の解説

鎌田
かまた

あら川西岸、現宮原みやばら町・大里おおさと町一帯に比定される。中世の鎌田庄の一部を引継いだとみられる広域地名。至徳四年(一三八七)成立の「塩山抜隊和尚語録」には「甲州路鎌田県」寄住の某甲大姉等が理阿禅門の一周忌向嶽こうがく(現塩山市)で行ったこと、「甲州路鎌田」の人士女妙戒が亡父妙可禅門の十三回忌および亡母妙空禅尼の三十三回忌を同寺で行ったことが記される。ただし年次は記されず、これらの人の実名も不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鎌田」の意味・わかりやすい解説

鎌田 (かまだ)

幸若舞曲の曲名。作者,成立年代不詳。上演記録の初出は1573年(天正1)(《多聞院日記》)。平治の乱に敗れた源義朝は重代の郎等鎌田正清の舅で,尾張国野間の内海の荘司長田忠致(おさだただむね)をたよるが,かえって正清とともに謀殺されるという事件に,義朝の子息朝長の自害,正清の妻子の死,渋谷金王丸(こんのうまる)の奮戦などを配した作品。《平治物語》に同材の部分があり,諸本の中にはこの作品に近い内容の零本も伝存するが,幸若舞曲や謡曲の《烏帽子折(えぼしおり)》などに鎌田の妹や遺子が登場し,各地に関連する伝説があるなど,伝承経路の複雑さを考えさせる。今日でも愛知県知多郡美浜町の野間大坊(大御堂寺)では,同材の物語が絵解きされている。この作品は謡曲《鎌田》,説経節《鎌田兵衛正清》,古浄瑠璃待賢門平治合戦》をはじめ,後の浄瑠璃や歌舞伎に素材を提供し,詞章上も鎌田毒殺の表現が説経節《小栗判官》に利用されるなど,その影響は小さくない。
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「鎌田」の解説

鎌田
(通称)
かまだ

歌舞伎・浄瑠璃の外題
元の外題
竜女三十二相
初演
元禄11.6(江戸中村座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

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