日本歴史地名大系 「田島別符」の解説 田島別符たしまべつぷ 大分県:日田市田島別符平安時代後期に宇佐宮の散在常見名田として領有された別符の一。「宇佐大鏡」によれば当別符および三尾田(みおた)(由布田)・竹田(たけだ)村(竹田別符)・今泉(いまいずみ)・石井(いしい)別符の五ヵ所は本来荒野空閑の地であったが、長元九年(一〇三六)に大宰府の権検非違使であった早部(日下部か)為行が、随近の刀禰大領大蔵氏や豊後国司紀朝臣の証判を申請して、多くの桑を植えて開発・居住した地という。為行の死後はその女子早部(日下部)妙高子が永承三年(一〇四八)に領掌したが、天喜二年(一〇五四)頃妙音(妙高か)子によって大宰府に進上され、大宰府より長門講師貞恵家に預けられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by