日本歴史地名大系 「田引村」の解説 田引村たびきむら 三重県:飯南郡飯高町田引村[現在地名]飯高町田引赤桶(あこう)村の南西にあり、村域の南部を櫛田(くしだ)川が蛇行し、それに沿って和歌山街道が通る。天正五年(一五七七)北畠具親の挙兵の際、具親に味方した川俣(かばた)筋の諸侍のなかに田引氏の名もみえ、川俣谷一揆に加わったことを示している(勢州軍記)。「五鈴遺響」には「北畠属臣田引正六郎住ス(中略)北畠信雄河俣軍ノ時捕虜ニシテ誅ス」とある。寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)に「田引村」とある。和歌山街道沿いの村として繁栄をみせ、「五鈴遺響」に「街道ニ民居ス、旅食貨店アリ」と記されている。寛政六年(一七九四)本居宣長は和歌山へ向かう道中で当地を通った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by