八柱神社(読み)やはしらじんじや

日本歴史地名大系 「八柱神社」の解説

八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]都祁村大字上深川

上深川かみふかわ集落の中央字どうさか鎮座祭神高御産日たかみむすび神・神産日かむむすび神・玉積日神・足産日たるむすび神・生産日いくむすび神・事代主ことしろぬし神・大宮売おおみやのめ神・御食津みけつ神。旧村社。現都祁村小倉おぐらの八柱神社と同じく、享保一四年(一七二九)の北吉品記(山辺郡誌)に小倉皇子を祀ると記され、当社も上深川の産土神が後に宮中八神を祀るようになったものと考えられる。境内参籠所はもと元薬がんやく寺であった。


八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]月ヶ瀬村大字嵩

小字マエに鎮座。祭神は高御産日たかみむすび神・神産日かむむすび神・玉積産日たまつめむすび神・生産日神・足産日神・大宮能売おおみやのめ神・御食津みけつ神・事代主ことしろぬし神。もとは五月さつき川に沿う旧小畑村(川原集落か)の鎮守社であったが、元文三年(一七三八)民家の転住に伴い現在地へ遷祀したと伝える。旧地を「宮の芝」と称する。社殿は月ヶ瀬村月瀬つきせ大神おおみわ神社や同村桃香野ももがのの八幡神社と同様、石造の小祠であるが、当社社殿が最も古く、同一形式で文中四年(一三七五)の銘をもつ奈良県榛原はいばら檜牧ひのまきの熊野神社社殿と同時期のものと推測される。


八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]真壁町塙世

塙世はなわぜのほぼ中央、小高い丘に森に囲まれて鎮座する。祭神は素盞嗚命・別雷命・誉田別命・木花咲耶姫命・倉稲魂命・軻遇突智命・大山咋命・厳島姫命の八柱。俗に「塙世の聖天さま」「食べた聖天金剛院」とよばれる。

社伝によると寛平二年(八九〇)六月の創建と伝えられ、明治維新までは金剛こんごう院と称し、京都嵯峨の大覚さがのだいかく寺を本寺とする真言密教名刹であった。延宝三年(一六七五)の新義真言寺院門末之帳(相沢家文書)に「常州真壁郡塙世村聖天山金剛院先年元祖宥日和尚始於嵯峨大覚寺宮御門跡西院法流伝来焉候、法流以後宥日和尚当院開山、弐拾八石内廿五石寺領御朱印有之余三石八幡免伊奈備前守殿判形有之塙世村本寺 金剛院」とあり、「新編常陸国誌」には「当村聖天ノ別当ヲ帯ス、末寺五ケ寺、門徒一四ケ寺、又末寺三ケ寺、又門徒九ケ寺、曾孫門徒二ケ寺アリ」とある。


八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]都祁村大字小倉小字クロソ

小倉おぐら南西に鎮座。祭神は高御産日たかみむすび神・神産日かむむすび神・玉積日神・足産日たるむすび神・事代主ことしろぬし神・生産日いくむすび神・大宮売おおみやのめ神・御食津みけつ神。旧村社。享保一四年(一七二九)の北吉品記(山辺郡誌)に「小倉村小倉皇子小社有、今ハ八王子ト云、山王ノ八王子ハ皇太神也」とある。舎人親王の裔小倉王を祀ったものと伝えるが、もとは小倉の産土神であったと考えられる。


八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]美川村大川

大川の豊久おおがわのほうきゆうにある。久万川の支流大川川のほとりに建ち、鳥居の下の清流には常に・鱒などが遊泳している。現祭神は天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理姫命・市寸島姫命・多岐都姫命の五男三女神。


八柱神社
やはしらじんじや

[現在地名]碧南市弥生

棚尾たなお村の南、台地の端に鎮座。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命・天穂日命など五男三女神。志貴しき庄司志貴左衛門藤原周亮の創立と伝え、初め八王子はちおうじ宮と称した。祭礼東西南北の各部から囃子を出し、東・西・南の三部は神輿を主体とし、チャラボコという打ち方で平太鼓を打って進む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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