田河津村(読み)たこうづむら

日本歴史地名大系 「田河津村」の解説

田河津村
たこうづむら

[現在地名]東山町田河津

長坂ながさか村の北、砂鉄さてつ川支流山谷やまや川上流とその支流横沢よこさわ川・竹沢たけのざわ川・石ノ森いしのもり川沿いにある。江刺郡岩谷堂いわやどう(現江刺市)方面へ向かう道が通る。天正七年(一五七九)三月二七日の葛西晴信知行宛行状(宮本元治氏所蔵文書)に田河津村とみえ、富沢日向守の反乱の際の軍功により同地内五千刈などが安部小次郎に宛行われている。同一六年六月二日には、浜田安房守の乱の際気仙けせんの勇者近藤法師を討取った功により、当村内二千刈などが鈴木彦太郎に与えられた(「葛西晴信知行宛行状」胆沢鈴木文書)。村の成立については、願書(高橋文書)に以前は黒石くろいし(現水沢市)母体もたい赤生津あこうづ(現胆沢郡前沢町)松川まつかわ長坂五ヵ村に分れていたが、寛永一八年(一六四一)検地の折、村中央の田河津森から見渡して、四方を取巻く山の峰の内側を当村域として独立させたとある。また村名の由来を奥州合戦で討死した藤原氏の重臣田河行文の首が葬られ田河座たこうざと称したのにちなむとも、和紙の多い里、多紙の里から転じたともいう諸説がある。

寛永一九年の田河津村検地帳(高橋文書)によれば、田方二八町四反余・代二二貫三三三文、畑方一一一町八反余・代二二貫九〇四文、名請人数五一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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