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和紙 わし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

和紙
わし

洋紙に対する語で,日本古来の製法による手すき紙をいう。さらにそれに風合いの似た機械ずき紙を含めることもある。日本の製紙法は7世紀初期に中国から朝鮮を経て伝来したといわれているが,その後「ねり」や,ノリウツギの樹皮からとれる粘液を利用する独自の技術を完成していき,江戸時代には土佐,美濃,越前など全国各地で,それぞれ特色あるものがつくられるようになった。

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デジタル大辞泉の解説

わ‐し【和紙】

ミツマタコウゾガンピなどの靭皮(じんぴ)繊維を原料として、手漉(す)きで作る日本古来の紙。強靭で変質しにくく、墨書きに適する。美濃紙鳥の子紙奉書紙など。俗には、和紙に似せてパルプマニラ麻などを機械で漉いた洋紙も含めていうことがある。日本紙。わがみ。⇔洋紙
[補説]本美濃紙細川紙石州半紙は、平成26年(2014)「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」の名称でユネスコ無形文化遺産に登録された。
書名別項。→和紙

わし【和紙】[書名]

東野辺薫短編小説。戦時下の東北を舞台に、紙漉(す)きの村に生きる人々を描く。昭和18年(1943)発表。同年、第18回芥川賞受賞。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

和紙【わし】

日本古来の独特の手法で作られた紙の総称で,洋紙に対する語。中国で発明された紙の製法は,7世紀の初めに高句麗(朝鮮)の僧曇徴(どんちょう)により日本に伝えられたといわれるが,それ以前に製紙技術が伝来していた可能性もある。
→関連項目越前奉書画仙紙生漉紙京花紙小菊抄紙石州半紙泉貨紙奈良紙東秩父[村]間合紙無形文化遺産保護条約

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日本文化いろは事典の解説

和紙

日本古来の製法による紙を和紙と呼びます。和紙は手漉〔す〕きによって作られているため、非常に強く吸湿性に富み、書画のみならず工芸用にも使用されてい ます。また、伝統によって受け継がれた各地の特徴ある和紙は、その質や柄などの素晴らしさから日本を越え世界中で認められ、愛され続けています。また、和紙は原料別に「楮紙〔こうぞし〕」「三椏紙〔みつまたし〕」「雁皮紙〔がんぴし〕」の三種類に分けられます。この三種類を基盤に、産地や製造法によって様々な種類の和紙が生み出されています。

出典|シナジーマーティング(株)
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リフォーム用語集の解説

和紙

日本古来の紙、日本製の紙の事。日本紙ともいう。繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長い。和室などの建具にも使用されており、近年は天然自然の素材として、インテリア向けの需要も高まっている。

出典|リフォーム ホームプロ
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世界大百科事典 第2版の解説

わし【和紙】

〈わがみ〉ともいう。洋紙に対照する名称で,日本で漉(す)かれた手漉きの紙をいうが,現状では手漉紙を模倣した機械漉きの和紙を含めて用いられる場合もある。
[特色]
 現在,植物の繊維をおもな原料として,手づくりで紙を作る技術は,日本以外のアジア(中国,朝鮮,台湾,インドネパールブータン,タイなど)やヨーロッパ(イタリアフランスイギリスなど),あるいは近年,新しい手づくり運動の一環として紙漉きが盛んなアメリカなど,なお数多くの国々で行われている。

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大辞林 第三版の解説

わし【和紙】

日本古来の製法による紙。コウゾ・ミツマタ・ガンピなどの靭皮繊維を原料として、手漉きによって作られる。鳥の子・奉書紙・檀紙など。強く、吸湿性に富み、工芸用にも使用される。わがみ。 ↔ 洋紙

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和紙
わし

日本でつくられる手漉(す)きの紙をいう。洋紙に対することばで、「わがみ」ともいう。元来、紙とは植物繊維を水の中に分散させたのちに水を濾(こ)し、薄く平らに絡み合わせたものをいい、筆記や印刷、また物を包んだりするのに用いられる。その原料や製造方法は、時代や土地によって変化がみられるが、製紙そのものの原理は変わらない。木材パルプを原料として機械によって量産する洋紙に対し、和紙は植物の靭皮(じんぴ)繊維をとってすべて手作りで漉くのが特徴となっている。手漉きによる製紙は諸外国でも行われているが、その多くはリンターや麻のぼろ裂(きれ)などを主原料としており、いわゆる溜(た)め漉き法によって抄造されている。これに対し和紙は、コウゾ(楮)、ミツマタ(三椏)、ガンピ(雁皮)などの靭皮繊維を原料としており、これらの長い繊維を十分にしかも均一に絡み合わせるために、「ネリ」と称する植物性粘液を混入した紙料液を調製して漉き上げる、いわゆる流し漉き法によって抄造される。この技法は手先の器用な日本人が過去に独特に考案し、普及させたもので、熟練した手さばきを要する。このため、少量の材料でごく薄い紙を多数漉くことができ、地合いが均一で美しく、しかも非常にじょうぶである。しかし多孔質のため、墨書きには適するが、一般にはインクによるペン書き、印刷には適さない。これは、洋紙が短小な繊維で目の詰まった構造のうえに、にじみを防ぐため、サイジング(ロジンや合成樹脂などの耐水性物質で、にじみを防止する加工)の処理を施してあるのと対比されるところでもある。ただし雁皮紙(がんぴし)だけは緻密(ちみつ)堅硬なため、ペン書きも可能である。
 和紙は書写用のほかにも日本の日常生活に多くの用途をもつ。多種多様な加工により、実用性と美的効果をおのずと備えた必需品として近年まで全国各地で生産され、日本文化に特異な貢献をしてきた。和紙の優れた性質は、古くから世界中で注目されているが、洋紙のために一時経済的に生産が困難になった。しかし最近ではふたたび工芸品や造形美術の素材として見直され、伝統産業として保護育成されている。[町田誠之]
 2009年(平成21)に島根県浜田市の「石州半紙(せきしゅうばんし)」(石見半紙)がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に単独で登録され、2014年には、石州半紙に岐阜県美濃(みの)市の「本美濃紙」と、埼玉県小川町、東秩父(ひがしちちぶ)村の「細川紙(ほそかわし)」を加えた「和紙―日本の手漉和紙技術」があらためて無形文化遺産に登録された。[編集部]

歴史

日本で初めて製紙の記事がみられるのは『日本書紀』巻22の推古(すいこ)天皇18年(610)のところで、「春三月に高麗(こま)から曇徴(どんちょう)、法定(ほうてい)という2人の僧が来日したが、曇徴は中国古典に通じていたうえに、絵の具や紙、墨をつくる名人であり、また日本で初めて水力で臼(うす)を動かした」とある。この記事では曇徴が最初に紙を漉いたとは書いてなく、いわば正式の技術導入とも解される。事実、紙そのものは、外交文書や私用の土産(みやげ)品としてすでに古墳時代に中国から朝鮮半島を経て日本に伝えられており、したがって渡来人などの手によって、日本のどこかですでに製紙が行われていたとみられる。当時の紙は貴重品であり、中国からもたらされる紙は唐紙(とうし)とよばれて珍しい舶来品であった。日本で紙の需要が高まって国産が奨励されるようになったのは、国家体制が整って律令(りつりょう)制が行われるようになってからのことである。徴税のために7世紀の中ごろから戸籍がつくられ、また仏教が人心の安定のために布教され、文字による情報伝達の媒体として紙の需要が激増し、製紙は量的にも質的にも急速な進展をみた。
 奈良時代には写経に要する莫大(ばくだい)な紙が図書寮造紙所(ずしょりょうぞうしじょ)で漉かれ、文献によれば710~772年(和銅3~宝亀3)までの62年間だけでも『一切経(いっさいきょう)』が21部写され、一部を3500巻、1巻の用紙を150枚として、総計約1102万5000枚の紙が漉かれたことになる。舶来の唐紙は麻紙(まし)がほとんどであったが、国産の場合は楮紙(こうぞがみ)や斐紙(ひし)のほかに多くの植物繊維を補助的に混合した紙も使用された。これらの原料を有効に利用してじょうぶな紙を多量に生産するための合理的な方法として、奈良時代後期に、世界の製紙史上画期的な技法である「流し漉き」が生まれ、和紙を特色づけることになった。これは、各種の原料繊維のなかでもとくに日本特産の雁皮(がんぴ)類(ジンチョウゲ科)の繊維の粘質性が、斐紙の抄造中の特異な性格としてみいだされ、研究された結果であった。紙は都を離れた各地方の国府でも漉かれ、戸籍や計帳(けいちょう)、宗教用などにあてられ、また原料とともに中央政府へも入貢された。奈良時代の紙に関する情報は『正倉院文書』に詳細にみられ、紙名は、原料、用途、染色などの加工法により230以上も数えられ、実物がそのまま現存している。また770年(宝亀1)に完成した現存する世界最古の印刷物といわれる「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」も、当時の製紙能力を示す記念物である。
 都が平安京に移されてまもなく、嵯峨(さが)天皇の大同(だいどう)年間(806~810)に、図書寮別所として紙屋(かみや)川のほとりに宮廷用紙を漉いて研究を行う紙屋院(かみやいん)が拡充移設され、全国の製紙に向かって指導的役割を果たした。紙屋院の組織や作業は『延喜式(えんぎしき)』の「図書寮式」に示されており、当時の製紙のようすがうかがい知られる。その恵まれた環境で漉かれた優美な紙は、「紙屋紙(かんやがみ)」の名で貴族間に愛好され、また舶来の唐紙よりも上質とされて唐へも逆輸出された。女流王朝文学作品、たとえば『源氏物語』や『枕草子(まくらのそうし)』のなかには、紙屋紙をたたえることばがしばしばみられる。しかし平安朝も末期になると、摂関政治の威信の低下と地方有力者の台頭を反映するかのように、紙屋紙や紙屋院の名声も落ち、かわって地方産のみごとな紙が都へ流入してくるようになる。その先駆けは東北地方からの「陸奥紙(みちのくがみ)」で、紫式部もその優美さを紙屋紙と比肩している。その紙質は大宮人(おおみやびと)の好みにあい、男性はこれを唐風に檀紙(だんし)と称し、女性は真弓紙(まゆみのかみ)ともいって、その使いざまが当時の文学作品や日記類に記されている。紙漉きは、地方の荘園(しょうえん)からの収入で豊かになった各地の産業のなかで一段と盛んになり、地方産紙は中央の紙屋紙を圧倒するほどの勢いをみせた。そして白河(しらかわ)上皇の院政が始まるころから、紙屋紙は古紙を再生した漉き返し、すなわち「宿紙(しゅくし)」を意味するまでになって衰滅した。
 鎌倉時代から室町時代には、公家(くげ)にかわって武士が権力をもつ世の中となり、檀紙系統の楮紙が、陸奥(むつ)国以外に讃岐(さぬき)国(香川)、越前(えちぜん)国(福井)、備中(びっちゅう)国(岡山)などでも漉かれ、公家が懐中紙として使用したのと同じように武士は鎧(よろい)の引合(ひきあわせ)(胴の右脇(わき)で前と後ろとを引き締めて、あわせるところ)に入れたため、そこから引合の名でよばれるようにもなった。また播磨(はりま)国(兵庫)の杉原紙(すぎはらがみ)や越前国の奉書などもこのころ出始めた。一方、斐紙は、鳥の子紙の名でよばれる雁皮紙と、このような色(淡黄色)ではない三椏紙(みつまたがみ)の2系統に分かれ、越前五箇(ごか)村や駿河(するが)国(静岡)伊豆方面で発達して全国的に普及した。雁皮紙は肌が滑らかでペン書きもできるため、外国の宣教師にも人気があったらしく、これに属する多くの紙名が、後の1603年(慶長8)に長崎で出版された『日葡(にっぽ)辞書』に集録されている。
 室町時代から建築様式に書院造が流行するが、それにつれて、建具として襖障子(ふすましょうじ)のほかに明(あかり)障子に用いる紙の需要が増し、また雨傘用の紙も美濃(みの)国(岐阜)、土佐国(高知)をはじめ全国津々浦々で増産された。また大和(やまと)国(奈良)の奈良紙、吉野紙などがちり紙として広く使用されるようになり、江戸時代には庶民の日常生活の必需品として紙が多彩な用途をもつようになった。
 江戸時代には経済力をつけた町人の手によって紙の取引が盛んとなり、諸藩は競って製紙を財源の一つとして奨励した。活版印刷の技術が輸入されると「奈良絵本」や「嵯峨(さが)本」の流行をきたし、江戸文学の興隆は書物としての紙の需要を増加し、また庶民の目を楽しませる浮世絵版画は紙の加工技術を発達させた。そして藩のなかには、用途の広い半紙、障子紙、ちり紙などを専売制とするところも現れ、江戸とともに大坂市場では紙の商取引が盛んに行われた。1736年(元文1)の記録によれば、大坂市場では紙は米、木材に次ぐ第3位の取扱高を示している。各藩の大名のほか、大寺院や大社も大坂に倉屋敷を設けて商品を納入したが、この公的に扱われる紙は御蔵紙(おくらがみ)と称して民間の納屋物(なやもの)あるいは脇物(わきもの)と区別され、品質が管理された。しかし全体の取扱量は、蔵物が年平均13万丸(がん)(半紙の場合1丸は1万2000枚)であるのに対し、脇物は17万丸以上にも達したという。まさに和紙の全盛時代であった。
 明治時代以後洋紙の流入によって衰退の一途をたどった和紙は、生活様式の変化に伴って実用性を失い、現在では伝統工芸品としてのみ漉かれているが、和紙のまれにみる耐久性、強靭(きょうじん)性、優美性については世界中の識者も賛嘆を惜しまないところであり、わが国でも最近は日本文化とかかわりの深い和紙を保全しようとする機運が高まっている。[町田誠之]

製法

和紙の主要原料植物のうち、栽培が困難なガンピは夏に野生種を採取し、皮を生(なま)はぎにする。コウゾやミツマタは、おもに栽培種を秋に刈って長さをそろえ、束にして蓄える。そして鉄の平釜(ひらがま)の上で桶(おけ)をかぶせて蒸し、適当に蒸し上がった束をむしろの上に取り出し、水をかけ、手早く皮をはぎ取る。これらの粗皮(あらがわ)は黒皮(くろかわ)といい、乾燥して貯蔵する。黒皮から黒い表皮を取り去るには、これをさらに水に漬けて軟らかくしてから小刀でこれを削り去るか、あるいは楮(こうぞ)踏みといって、黒皮を小川の浅瀬に浸して足で踏みつけ表皮を洗い流す。こうして得た白皮をさらに乾燥させた靭皮(じんぴ)繊維の束が和紙の原料となる。
 紙漉(す)きには、必要量の白皮を取り出して半日ほど水に浸し、釜(かま)の中へ入れ、アルカリ液で蒸解(煮熟(しゃじゅく)ともいう)する。以前はアルカリ液として木や藁(わら)の灰汁(あく)を用いたが、現在では石灰、ソーダ灰、カ性ソーダなども使用されるようになった。これによって繊維中の可溶性不純物が溶出されるが、強力な化学薬品はセルロース(繊維素)自身をも侵しやすいため十分な注意が必要である。通常は約1時間で白皮が指でつまみ切れる程度に軟らかくなるので、加熱を止めて放冷し、流水中でいわゆる「川晒(さら)し」をして水洗いする。この際、自然に漂白も行われるが、地方によっては「雪晒し」といって雪の中に長く埋めたり、「天日(てんぴ)晒し」といって芝生などの上に放置したり、あるいはさらし粉などの漂白剤の作用を借りることも行われる。そのうえでさらに、少量ずつの繊維を流水や桶水に放ち、なお残存する粗皮や堅い筋(すじ)、塵(ちり)などを丹念に手で取り除くが、これは「塵取り」と称して根気のいる仕事である。次に、すっかり精製された繊維を「楮しぼり」と称してメロンくらいの大きな塊に丸める。この塊を木または石の平たい台に置き、硬い木の棒または槌(つち)でたたく。これは「紙打ち」「楮打ち」または「手打ち」といって、靭皮繊維が細かく引き裂かれ(フィブリル化)て表面積が増し、水化して柔軟性と可塑性に富むようになる。この調子よく打つ音は紙砧(かみきぬた)とよばれ、遠くまで響く。ときにはビーター(叩解(こうかい)機)を使って叩解したり臼(うす)で砕くことも行われるが、機械力を用いた場合は繊維が切断されることも多く、和紙本来の美しさとじょうぶさは旧来の手打ちでなければ生まれてこない。このような処理をすべて終えた繊維(紙料)は槽(そう)(漉き舟)に入れて水を加え、よくかきまぜて網や簀(す)ですくい上げると紙ができあがる。日本以外での漉き方はいわゆる溜(た)め漉きで、紙料繊維を網の上で緩く揺り動かして水を濾(こ)し、繊維の絡み合った紙層を「紙床(しと)」に移し、網を静かに外して湿紙の上に布をかぶせる。紙床とは、このような湿紙と布との積み重ねたものをいう。
 ところが和紙独特の流し漉きには、ネリと称する植物性粘液を必要とする。これには古来トロロアオイ(黄蜀葵)の根またはノリウツギ(糊空木)の内皮をたたきつぶして水で抽出した粘液がもっとも多く利用される。またネリの添加量は普通、熟練した手の感触によるが、紙料液とよくかき混ぜて白い乳状に仕立てる。抄造には、桁(けた)をはめた簀で液をくみ上げてすばやく簀の表面全体に行き渡らせる。この最初のくみ上げは、紙の表面を形成するたいせつな操作で、各地方により「初水(うぶみず)」「化粧水」「数子(かずし)」などといい、比較的粗い繊維層ができて水が速く濾される。そこでもう一度、今度はやや深く液をくみ上げて簀を前後に揺り動かし、液が流動しているうちに繊維の方向性をもたせながら、緊密な絡み合いを行わせる。この操作を「調子」といい、求める紙の厚さに応じて繰り返し行うが、簀の目がしだいに詰まってくるため水漏れが遅くなり、紙層組織の平均化が行える。また繊維の不規則なもつれによる塊や、不用意に混入したごみなどが目だって浮遊してくるので、これらは最後に簀の上に残っている余分の液といっしょに桁の前方から勢いよく槽に投げ戻す。これは「捨て水」といって、流し漉き法でなければできない特徴的な技の一つである。紙層をのせたままの簀を桁から外し、紙床の上にうつぶせて静かに簀だけをはがし、簀は元の桁にはめて、前と同様な抄造操作を繰り返す。紙床の上の湿紙は、そのまま何枚もその上に重ねていく。これも流し漉き法の特徴の一つで、溜め漉き法のように湿紙1枚ごとに布を隔てて積んでいく必要はない。紙床はそのまま一晩放置し、上から重石(おもし)を置いたり、天秤(てんびん)式などの方法で水切りをし、適当なころに1枚ずつはがして干し板に貼(は)り、日光に当てて自然乾燥を行う。晴天ならば1時間ほどで乾くので、板からはがして選別し、枚数をそろえて必要ならば裁断し、包装して製品とする。[町田誠之]

ネリの効果

和紙の流し漉きを可能にしているのはネリ(地方によっては「ネベシ」「ノリ」「タモ」「サナ」などの方言がある)である。これにもっともよく用いられるトロロアオイの粘質物は、化学的にはラムノースとガラクツロン酸を成分とする長い鎖状の複合多糖類で、ノリウツギの粘質物もほぼ同様の多糖類である。これらの高分子は、ガンピ(雁皮)などの靭皮(じんぴ)繊維に多く含まれるヘミセルロースと類似した分子構造で、いずれもポリウロニドとよばれる水溶性高分子である。ポリウロニドは水に溶けるとコロイド溶液となり、長い分子は水中に広がって網の目のように絡み合い、粘滑性と曳糸(えいし)性とを示す。紙料繊維のセルロースはすでに叩解(こうかい)によってフィブリル化され、水によって膨潤し、その表面を水和したセルロース分子やヘミセルロース分子がうぶ毛のように覆っている。このような繊維がネリ液の中に分散されると、このうぶ毛に長いポリウロニド分子がまつわりついて、繊維全体はさらに大きな水和層に包まれ、長い繊維も相互の直接の接触による凝集が妨げられて、均一な分散が促進される。簀(す)にくみ上げられて揺り動かされると、液の粘性や曳糸性のために繊維層のすきまが狭められ、水漏れが遅くなり、長い繊維も均一によく絡み合って、少ない紙料でもむだなく、また薄いながらもきわめてじょうぶな紙層が形成される。そして万一、繊維に不規則な塊ができたり、不用意な夾雑物(きょうざつぶつ)があっても、これらは紙層の表面を流れて1か所へ集められ、捨水(すてみず)の操作によって除去される。したがって、抄造の操作は原始的な手作業でありながら、できあがる紙は塵(ちり)一つなく純白である。またネリの濃度を加減することによって紙の厚さや緊締度も調節できるが、それは、熟練した勘に頼って行われる。ネリの粘度は一晩たつと急速に減退するため、紙床から湿紙をはがすときも粘着することはなく、また乾燥後は紙の光沢をよくする。このようなネリの効用を、器用な手さばきで十分に発揮させるのが流し漉きの神髄であるといえる。
 このほか、昔からネリをとるには、ビナンカズラ(サネカズラ)、ニレ、タブノキ(イヌグス)、アオギリ、スミレ、マンジュシャゲ(ヒガンバナ)、ナシカズラ、ギンバイソウ、ヤマコウバシなどの植物が補助的に用いられる。最近ではオクラや脱アセチル化カラヤゴムなども注目され、また合成高分子としてはポリアクリルアミド、ポリエチレンオキシドなどが研究・開発されている。[町田誠之]

種類

古代から近世まで和紙の種類と名前はきわめて多数に上り、また時代によって変化もみられる。製紙が始められたころの初期の紙名には、原料により穀紙(かじし)、麻紙(まし)、斐紙(ひし)などをはじめ、竹幕紙(ちくまくし)、楡紙(にれがみ)、布紙(ぬのがみ)、本古紙(ほごがみ)、葉藁紙(はわらがみ)、杜中紙(とちゅうし)などがあり、すでに奈良時代の文献にみえるが、これらの紙はかならずしもその原料繊維単独でできているのではなく、コウゾなどの普通の原料に補助的に添加抄造された場合も考えられる。平安時代になると地方諸国での製紙が興隆するにつれて国名を冠した紙名が流布し始め、たとえばその先駆けとみられる陸奥紙(みちのくがみ)は、植物への連想から檀紙(だんし)とか直弓紙とかよばれて複雑さを加えている。そして鎌倉時代以降には産地名による紙名が増加し、美濃(みの)紙、吉野紙、鎌倉紙、高野(こうや)紙など著名な土地から始まって、しだいに杉原紙、森下紙、西島紙、溝口(みぞぐち)紙などと、現在の地図ではみつけるのにほねのおれるほど小地域にまで広がる。これは、製紙の普及および特色化、またそれらが流通しやすい経済機構がすでに発達したことを示す。そして各種の紙が得やすくなると、その用途も広く多岐にわたり、紙の形状、性質、用途などに基づいた紙名が一般化した。江戸時代にはこれらの由来による名称が入り混じり、方言も加わって、多種多様な紙名が呼称された。形状による紙名の例としては、延紙(のべがみ)、半紙(はんし)、半切(はんつ)、巻紙(まきがみ)、大杉、小杉などがあり、用途によるものでは奉書、障子紙、傘紙、鼻紙などがある。さらに染色や加工が行われた場合には、それを表す名前もつけられた。そしてたとえば、普通典具帖(てんぐじょう)とよばれる紙は、天具帖、天郡上、天久常、天狗状などとも書かれ、その産地も最初は美濃国であったのが、のちに土佐国に移って今日に及んでおり、その命名の由来はいまも不明とされている。このように多種多様の紙名が残っていることは、現在からは想像もつかないほど多くの和紙が日本の至る所で生産され、また消費されていたことを示すものであり、日本人の生活に密着していた和紙の姿を表している。[町田誠之]

加工

古くから和紙の書写性、印刷性、耐久性を増し、美的要素を与えるなどの目的から各種の加工が行われてきたが、その多彩なことは世界に類をみないものである。これは和紙がふんだんに供給されたことにもよるが、和紙がどのような紙質の紙でも漉くことができ、そのうえどのような加工処理にも耐えられるという性能を内在していたことによる。このことも和紙の特色の一つである。紙の色染めはすでに奈良時代(8世紀)にはみごとな完成をみていた。元来紙の染色は防虫の目的から出たらしく、黄蘗(きはだ)、藍(あい)、紅(くれない)、紫草(むらさき)、蘇芳(すおう)、木芙蓉(もくふよう)、蓮(はす)、楸(ひさぎ)、椽(つるばみ)などの植物を原料とした天然染料が用いられ、また媒染剤としては灰汁(あく)やみょうばんも使用された。濃淡各種の色調を出した「染紙(そめがみ)」の名称は『正倉院文書』に約40種もみいだされ、染色方法には、漉(す)き染め、浸(ひた)し染め、引き染め、吹き染めなどの方法が行われた。正倉院には有名な「色麻紙(いろまし)」19巻をはじめ多くの実物が現存しているが、これらの染色技術は平安時代へも引き継がれ、写経のほかに詩歌を染紙に書くことも流行して華美なものへと発展した。
 染紙(そめがみ)を色紙(しきし)ともよぶことはすでに奈良時代にもあったが、平安時代から詩歌を書くために一定の大きさにして用いたことから、着色の有無にかかわらず色紙の名称が用いられた。王朝文学作品にはしばしば「白き色紙」のことばもみられる。色紙はさらに加工が施されておのずと経紙と区別され、料紙の名で書道用紙へと発達した。流し漉きにより薄様(うすよう)を漉く技術と、漉き染めのそれとが組み合わされ各種の「漉き模様紙」が完成されると、打曇(うちぐもり)、飛雲(とびくも)、羅文紙(らもんし)などが生まれ、墨流しや、金銀の砂子(すなご)、切箔(きりはく)、野毛(のげ)などの散布による装飾も精彩を極めた。さらにこれらの加工紙をわざと切ったり、あるいは破ったりして断片を継ぎ合わせて変化をもたせた「継ぎ紙」がつくられたが、これには切り継ぎ、破り継ぎ、重ね継ぎなどの種類があり、1112年(天永3)に完成されたといわれる西本願寺蔵『三十六人家集』は、その代表的作品として有名である。経紙でも、紺紙や紫紙に金泥や銀泥で写経することが盛んになり、これらのいわゆる「荘厳経(しょうごんきょう)」は、静岡県の久能(くのう)寺蔵『久能寺経』や広島県の厳島(いつくしま)神社蔵『平家納経』などが著名な例として現存する。染料のかわりに香料をしみ込ませた「香染め紙」も、平安時代から上流婦人の畳紙(たとうがみ)(懐紙(ふところがみ))や扇紙として愛好された。
 江戸時代になると、和紙が墨書きのほかに木版印刷や浮世絵版画、あるいは唐紙(からかみ)用などに使用されるようになり、どうさ引き加工(膠(にかわ)とミョウバンの溶液を塗る)が行われて具引(ぐび)き紙(胡粉(ごふん)を塗った紙)も流行するようになった。するとこれに伴って「もみ紙」も発達し、唐紙師(からかみし)という職業人が専門に取り扱うようになって、これらの技術は現在まで続いている。じょうぶな和紙はもんで柔軟性をもたせれば衣料にも利用することができ、紙衣(かみこ)(のちには紙子(かみこ)といった)は平安中期から用いられ、室町時代には柿渋(かきしぶ)で耐久性と耐水性とを加えて広く防寒あるいは防水のために一般化して、戦国武将や江戸町人に人気を得た。江戸文学の作品には紙子が流行着として使用された記事がよく現れる。渋は漆よりも安価、簡便で、一閑張(いっかんばり)の製品もつくることができ、箔打紙(はくうちがみ)の製造や捺染(なっせん)の型紙の製造に欠かせないものである。和紙の防水(あるいは撥水(はっすい))には桐油(とうゆ)あるいは荏胡麻油(えごまゆ)などを塗った桐油紙が、合羽(かっぱ)、包み紙、雨傘の材料に広く用いられた。
 和紙を継いだり張ったりする接着剤には、古くからダイズの汁(成分はカゼイン)、米(成分はデンプン)、コムギの生麩(しょうふ)(成分はグルテン)などが使用された。またこんにゃく糊(のり)(成分はグルコマンナン)は接着剤のほかに、表面加工剤としても広く応用された。和紙、ことにもみ紙の表面に薄くこんにゃく糊を塗ると、繊維のけば立ちを防ぎ、さらに塗ったあとでアルカリ液で処理すると糊が凝固して不溶性となり、紙の強度や耐水性が増加する。この作用は柿渋とともに紙子の補強に広く用いられたが、第二次世界大戦の末期に風船爆弾の材料にされたことで有名になった。現在ではこの種の加工紙は、味わいのある民芸紙として表装や本の装丁などに用いられ、とくに強製紙の名でよばれることもある。
 このように和紙は各種の加工によってどのような用途にも向けられ、日本人の生活を支えてきた。今日ではほかの多くの工業材料によって代替されたが、手作りの工芸材料としてなお多くの分野に特殊な用途を有している。[町田誠之]
『寿岳文章著『日本の紙』(1967・吉川弘文館) ▽町田誠之著『和紙の風土』(1981・駸々堂) ▽町田誠之著『和紙と日本人の二千年――繊細な感性と卓越した技術力の証明』(1983・PHP研究所)』

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図書館情報学用語辞典の解説

和紙

日本古来の抄紙法により,ガンピ,コウゾミツマタなど,植物の靭皮繊維を原料に漉かれた紙.耐久性に優れ,有害な物質を含まないために,資料の保存・修復の材料としても利用される.本来手漉きによるものであったが,現在は機械漉きのものもある.

出典|図書館情報学用語辞典 第4版
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世界大百科事典内の和紙の言及

【サイジング】より

…前者を内面サイジングまたはエンジンサイジング,後者を表面サイジングまたはタブサイジングと呼ぶ。
[内面サイジング]
 和紙ではトロロアオイの根から抽出した〈ねり〉を加えて抄紙するので,それが部分的にサイズの役割を果たしている。それでもとくにサイジングを必要とするときは〈にかわ〉も用いられる。…

【包み】より

…《今川大双紙》は室町時代の初期に今川貞世(さだよ)(了俊(りようしゆん))が著した武家故実の書であり,たとえば金(かね)の包み方として,所柄や季節に応じた包み方,材料およびその色合いの選び方などについて述べている。 室町時代までは,〈包み〉の礼法は将軍家を中心とする上流階層にしか行われなかったが,江戸時代中期になると和紙が全国各地で大量に生産されるようになり,武士に限らず一般庶民の間でも広く用いられるようになった。先に述べた伊勢氏の中興の祖といわれる伊勢貞丈(さだたけ)(安斎)は江戸中期,宝暦年間に《包結図説(ほうけつずせつ)》を著したが,これは〈包の部〉と〈結の部〉の2部からなり,その前者において,包む中味や用途に従った各種の礼法が定められた。…

【版画】より

…現存するヨーロッパ最古の版画は14世紀の第4四半期のものである。紙が今日のようにパルプを原料とするようになるのは18世紀のことであるが,日本のコウゾ,ミツマタなどでつくられた和紙は上質で,鎖国時代にも輸出され,レンブラントその他も版画に用いている。紙以前から用いられた台材としては布地,革(羊,子牛),板などがあり,ことに布は正倉院の交纈(こうけち),夾纈(きようけち),﨟纈(ろうけち)の染布をはじめとして,プリント染としても日常化されている。…

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