コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

田沼意尊 たぬま おきたか

2件 の用語解説(田沼意尊の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田沼意尊 たぬま-おきたか

1818-1870* 江戸時代後期の大名。
文政元年生まれ。田沼意留(おきとめ)の子。天保(てんぽう)11年遠江(とおとうみ)(静岡県)相良(さがら)藩主田沼家第2次3代となる。文久元年若年寄。元治(げんじ)元年天狗(てんぐ)党の乱鎮圧のため幕府軍を指揮,翌年越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)で降伏した武田耕雲斎らを処刑した。明治元年上総(かずさ)(千葉県)小久保に転封(てんぽう)。明治2年12月25日死去。52歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

田沼意尊

没年:明治2.10.24(1869.11.27)
生年:生年不詳
水戸天狗党に対する大量処刑を指揮した幕末の江戸幕府若年寄。諱は意尊,通称金弥,父は,遠江国(静岡県)相良藩主(1万石)田沼意留。天保11(1840)年7月に家督相続,文久1(1861)年9月14日に若年寄となる。元治1(1864)年8月,水戸藩の紛擾鎮圧を命じられ出陣,紛争の一方の当事者である保守派の市川三左衛門に与し,水戸藩主目代の松平頼徳を自刃させ,天狗党の武田耕雲斎の軍を攻撃。敦賀で降伏した耕雲斎ら350名を斬罪にした。慶応2(1866)年10月,若年寄を辞任。保守的佐幕主義者で,そのことは,鳥羽伏見の戦で幕府軍に参加し明治1(1868)年2月,駿河,遠江で最も遅れて勤王証書を提出したことでもわかる。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

田沼意尊の関連キーワード筑波山事件天狗党亀山勇右衛門滝口六三郎床井荘三浜野松次郎林庸松平頼徳山中新左衛門米川米吉

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone