田辺為三郎(読み)タナベ タメサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田辺為三郎」の解説

田辺 為三郎
タナベ タメサブロウ


肩書
衆院議員(憲政本党),日清汽船監査役

別名
号=碧堂 字=秋穀(シュウコク)

生年月日
元治1年12月13日(1864年)

出生地
備中国浅口郡長尾(岡山県倉敷市)

経歴
金町製瓦、日本煉瓦会社重役を経て日清汽船監査役。後年二松学舎、大東文化大学教授となり作詩を講じた。衆院議員当選2回。実業のかたわら森春濤の茉莉吟社で漢詩を学び、のち国分青厓の影響を受けた。「碧堂絶句」「衣雲集」「凌滄集」「壮行集」などがある。

没年月日
昭和6年4月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「田辺為三郎」の解説

田辺 為三郎
タナベ タメサブロウ

明治〜昭和期の漢詩人,実業家,政治家 日清汽船監査役;衆院議員(憲政本党)。



生年
元治1年12月13日(1865年)

没年
昭和6(1931)年4月18日

出生地
備中国浅口郡長尾(岡山県倉敷市)

経歴
金町製瓦、日本煉瓦会社重役を経て日清汽船監査役。後年二松学舎、大東文化大学教授となり作詩を講じた。衆院議員当選2回。実業のかたわら森春濤の茉莉吟社で漢詩を学び、のち国分青厓の影響を受けた。「碧堂絶句」「衣雲集」「凌滄集」「壮行集」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺為三郎」の解説

田辺為三郎 たなべ-ためさぶろう

1865*-1931 明治-昭和時代前期の実業家,漢詩人。
元治(げんじ)元年12月13日生まれ。大東汽船社長,日清汽船監査役などをつとめる。明治31年衆議院議員(当選2回,憲政本党)。国分青厓(こくぶ-せいがい)に師事詩文にすぐれ,晩年は大東文化学院,二松学舎の教授。昭和6年4月18日死去。68歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。名は華。字(あざな)は秋穀。号は碧堂。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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