田鎖城跡(読み)たくさりじようあと

日本歴史地名大系 「田鎖城跡」の解説

田鎖城跡
たくさりじようあと

[現在地名]宮古市田鎖

田鎖の西に連なる三合並さんごうなめ山の尾根上にある。基部は空堀で切られ、二の郭・主郭・副郭と続き、副郭の端に径十数メートル、高さ約三メートルの円形塚状の物見壇跡が現在も残る。元亨四年(一三二四)一一月二三日の関東下知状案(宮古田鎖文書)によれば、正応元年(一二八八)閉伊三郎左衛門尉光員の遺領多久佐利を嫡子十郎左衛門光頼が継いでおり、建武元年(一三三四)と推定される閉伊親光言上状(盛岡南部文書)にも多久佐利の名がみえ、北畠顕家によって光頼の子親光に安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む