田鎖村
たくさりむら
[現在地名]宮古市田鎖
閉伊川の中流南岸、松山村の西に位置。東端を長沢川が流れる。古くは多久佐利・多久佐里・田
・田鍍などと書き、いずれも「たくさり」と読む。閉伊街道は千徳村から閉伊川を渡って当地を通り、三合並山を越えて老木村へ入る。鎌倉時代中期以降、当地は老木村などとともに閉伊氏宗家の所領の一つであったが、天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の奥羽仕置によって三戸南部氏の所領に組込まれ、楢山氏の知行地となった。
慶長五年(一六〇〇)九月二三日の楢山帯刀佐宛の南部利直知行宛行状(盛岡南部文書)には「野田
村、さいとうし村」とあり、この両村が合してのちに田鎖村となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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