デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「男狭磯」の解説 男狭磯 おさし 「日本書紀」にみえる海人(あま)。阿波(あわ)(徳島県)長邑(ながのむら)の人。允恭(いんぎょう)天皇14年,天皇の淡路(あわじ)島での狩りを成功させるため,赤石(あかし)(明石)の水深60尋(ひろ)(約110m)の海にもぐり,島の神にそなえる真珠をもった大蝮(あわび)をだきあげたが,直後に死んだ。天皇はその死をかなしみ墓をたてさせたという。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「男狭磯」の解説 男狭磯 5世紀中ごろの伝説的な海人。阿波国(徳島県)那賀郡長邑の人とされる。淡路島に狩猟中,真珠祠祀の霊言を得た允恭天皇の命により60尋(約110m)の海底から桃子大の真珠を腹中した大鰒を抱き浮上し,息絶えたという。<参考文献>萩野由之「漁業考」(『学芸志林』17巻) (田島佳也) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by