畑佐村(読み)はたさむら

日本歴史地名大系 「畑佐村」の解説

畑佐村
はたさむら

[現在地名]明方村畑佐

吉田(よしだ)川流域に位置し、西下流は二間手(ふたまて)村。南の畑佐峠を経て鹿倉(かくら)村(現和良村)へ通じる道は、戦国期から近世初頭にかけて、明方筋と和良(わら)筋をつなぐ主要道であった。文明七年(一四七五)三月七日の絵像裏書(畑佐家蔵)に「飛騨国善俊門徒 濃州郡上畠佐村」とある。延徳(一四八九―九二)頃、東氏一族の東常和がこの地に住み、畑佐氏を興したという。畑佐氏は飛騨の三木氏と関係が深く、本家の東氏との争いに際し、天文八年(一五三九)九月一四日三木直綱の援助を受入れた(「大般若経奥書」寿楽寺蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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