畑佐村(読み)はたさむら

日本歴史地名大系 「畑佐村」の解説

畑佐村
はたさむら

[現在地名]明方村畑佐

吉田よしだ川流域に位置し、西下流は二間手ふたまて村。南の畑佐峠を経て鹿倉かくら(現和良村)へ通じる道は、戦国期から近世初頭にかけて、明方筋と和良わら筋をつなぐ主要道であった。文明七年(一四七五)三月七日の絵像裏書(畑佐家蔵)に「飛騨国善俊門徒 濃州郡上畠佐村」とある。延徳(一四八九―九二)頃、東氏一族の東常和がこの地に住み、畑佐氏を興したという。畑佐氏は飛騨の三木氏と関係が深く、本家の東氏との争いに際し、天文八年(一五三九)九月一四日三木直綱の援助を受入れた(「大般若経奥書」寿楽寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む