畑熊村(読み)はたくまむら

日本歴史地名大系 「畑熊村」の解説

畑熊村
はたくまむら

[現在地名]三珠町畑熊

大塚(おおつか)村の南、上野(うえの)村の東、御坂(みさか)山地の西部芦川(あしがわ)渓谷の下流部左岸の山地中腹に立地。西は蛾(ひる)ヶ岳の嶺線をもって市川大門(いちかわだいもん)村・山家(やまが)村(現市川大門町)に接する。戦国期には九一色衆の活躍した九一色(くいしき)郷に含まれた(甲斐国志)。慶長古高帳に「はたくま」とみえ、高一〇石余、幕府領。もと高萩(たかはぎ)村に属したが、慶長六年(一六〇一)の検地により分村したと伝えられる(三珠町誌)。寛永元年(一六二四)の四郡村高帳でも同高で旗本渡辺領。渡辺領は天和元年(一六八一)上知(寛政重修諸家譜)。元禄郷帳には高萩村枝郷畑熊村とみえ、幕府領。宝永二年(一七〇五)以降は上野村に同じ。宝暦六年(一七五六)版三郡村高帳では高一七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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