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市川大門 いちかわだいもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

市川大門
いちかわだいもん

山梨県中部,市川三郷町西部の旧町域。甲府盆地の南西部に位置し,笛吹川釜無川の合流点付近の東岸を占める。 1900年町制。 1954年高田村,1955年山保村の一部,1956年大同村の一部をそれぞれ編入。 2005年三珠町,六郷町と合体して市川三郷町となった。地名の由来は,市が設けられ近隣の川と結びつけて称されるようになったとする説などさまざまである。早くから荘園が開かれ,12世紀初期に荘司となった源義清は甲斐源氏の祖。中心地には江戸時代に代官所が置かれ,明治初期には市川県の県庁所在地。古くから笛吹川の支流芦川の清流を利用して和紙を産し,江戸時代には幕府へ献上した。障子紙,奉書紙,半紙などがつくられる。花火の生産も盛ん。甲府盆地を一望する平塩岡には義清の館跡があり,東部の山地は四尾連湖県立自然公園に属する。

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デジタル大辞泉の解説

いちかわだいもん〔いちかはダイモン〕【市川大門】

山梨県西八代(にしやつしろ)郡市川三郷町の地名。江戸時代は幕府の代官所が置かれた。古くからの和紙の産地。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市川大門
いちかわだいもん

山梨県中部、西八代(にしやつしろ)郡にあった旧町名(市川大門町(ちょう))。現在は市川三郷(いちかわみさと)町の中央部を占める。旧市川大門町は1900年(明治33)町制施行。1954年(昭和29)高田村を編入、1955年山保(やまほ)村、1956年大同村の各一部を編入。2005年(平成17)三珠(みたま)町、六郷(ろくごう)町と合併し市川三郷町となる。旧町域は甲府盆地の南西端、釜無(かまなし)、笛吹(ふえふき)両川の合流点の東部に位置する。JR身延(みのぶ)線が通じる。古くは市川郷(ごう)と称して、紙を漉(す)くことを業とした伝統的な和紙(市川紙)の産地。中世、源義清(よしきよ)が荘司として土着し、甲斐(かい)源氏の発祥地ともなった。江戸時代の後半には幕府の代官が置かれ、約8万石の所領の統括がなされた。明治以降も郡役所が置かれ、地方中心都市として、和紙生産の町として栄え、製紙業者は明治時代約370戸を数えた。第二次世界大戦後は障子紙、和紙、市川花火の生産のほか、メリヤス製造業、自動車部品工場などもでき、工業生産は多彩化している。農業は、養蚕主体であったが近年は果樹栽培への転換が進んでいる。史跡、名勝としては甲斐源氏館(やかた)跡や、県立自然公園に指定されている山上湖の四尾連(しびれ)湖がある。また、初世団十郎が市川姓を唱えたのも、生家がここの上野にあったためといわれる。[横田忠夫]
『『市川大門町誌』(1967・市川大門町)』

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