山梨県中部、西八代郡(にしやつしろぐん)にあった旧町名(市川大門町(ちょう))。現在は市川三郷(いちかわみさと)町の中央部を占める。旧市川大門町は1900年(明治33)町制施行。1954年(昭和29)高田村を編入、1955年山保(やまほ)村、1956年大同村の各一部を編入。2005年(平成17)三珠(みたま)町、六郷(ろくごう)町と合併し市川三郷町となる。旧町域は甲府盆地の南西端、釜無(かまなし)、笛吹(ふえふき)両川の合流点の東部に位置する。JR身延(みのぶ)線が通じる。古くは市川郷(ごう)と称して、紙を漉(す)くことを業とした伝統的な和紙(市川紙)の産地。中世、源義清(よしきよ)が荘司として土着し、甲斐源氏(かいげんじ)の発祥地ともなった。江戸時代の後半には幕府の代官が置かれ、約8万石の所領の統括がなされた。明治以降も郡役所が置かれ、地方中心都市として、和紙生産の町として栄え、製紙業者は明治時代約370戸を数えた。第二次世界大戦後は障子紙、和紙、市川花火の生産のほか、メリヤス製造業、自動車部品工場などもでき、工業生産は多彩化している。農業は、養蚕主体であったが近年は果樹栽培への転換が進んでいる。史跡、名勝としては甲斐源氏館(やかた)跡や、県立自然公園に指定されている山上湖の四尾連湖(しびれこ)がある。また、初世団十郎が市川姓を唱えたのも、生家がここの上野にあったためといわれる。
[横田忠夫]
『『市川大門町誌』(1967・市川大門町)』
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