畔田新田
あぜたしんでん
[現在地名]四街道市四街道・四街道一―三丁目・萱橋など
現在の四街道市の中心市街地一帯。畔田村(現佐倉市)の南部にあたり、東は栗山村、南は和良比村。もとは下志津原とよばれる原野で、周辺村の入会秣場として利用されていたとみられるが、徐々に周辺村によって開拓が進められた。「印旛郡誌」によると江戸時代後期に至り内黒田村・鹿渡村・畔田村、下志津村(現佐倉市)四ヵ村立会いのもと分間が行われ、内黒田村分二町五反余、鹿渡村分二〇町五反余、畔田村分二三町六反余、下志津村分五四町三反余および畔田村持二三町五反余とされ、秣刈取野銭上納などは従来どおりとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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