日本歴史地名大系 「四街道市」の解説 四街道市よつかいどうし 面積:三四・七〇平方キロ県北部の中央西寄りに位置し、南から西にかけては千葉市、東から北にかけては佐倉市と接する。かつて六方(ろつぽう)野とよばれた台地が広がり、南西部より北東方に鹿島(かしま)川が流れる。中央をJR総武本線(四街道駅・物井駅)、南部を国道五一号、北部を東関東自動車道(四街道インターチェンジ)が通る。四街道の地名は東金(とうがね)―船橋道と、佐倉―千葉道が交差する地という意とされ、明治一五年(一八八二)測量の二万分一迅速測図の畔田(あぜた)村域に字四街道とみえるのが早い。〔原始―中世〕旧石器時代の遺跡には環状ユニットや竪穴遺構を検出した池花南(いけはなみなみ)遺跡(内黒田地区)や垂飾様石製品の出土で知られる出口鐘塚(でぐちかねづか)遺跡(物井地区)などがある。縄文時代の遺跡では千代田(ちよだ)遺跡などがあり、弥生時代の遺跡は鹿島川支谷にみられる。和良比(わらび)地区の中山(なかやま)遺跡は四世紀末より五世紀初めの鍛冶工房と考えられ、工人の住居を伴う。物井(ものい)は「和名抄」に記載される千葉郡物部(ものべ)郷、山梨(やまなし)は同じく山梨郷の遺称地とされる。中世には千葉庄に属したとされるが、神代本千葉系図によると臼井成常の孫の常清は山無五郎、臼井有常の子知常は鹿渡太郎、その孫の常益は小名木四郎太郎を称し、山梨・鹿渡(ししわたし)・小名木(おなぎ)を名字の地とする臼井氏系の武士団が存在していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四街道市」の意味・わかりやすい解説 四街道〔市〕よつかいどう 千葉県中部,千葉市の北に隣接する市。 1955年千代田町と旭村が合体して四街道町が成立し,81年市制。中心地区は成田街道と佐倉街道が交差する四つ辻を中心に発達。地名もこれに由来する。江戸時代末期佐倉藩の砲術練習場があり,明治時代以後は陸軍練習場,陸軍野戦砲兵学校,下志津陸軍飛行学校などの軍事施設をもつ軍都となった。第2次世界大戦後,旧軍事施設は国立病院,学校,引揚げ者寮などの施設に転用された。近年は内陸工業団地が造成され,JR総武本線沿線を中心に住宅開発も進められている。東関東自動車道が通り四街道インターチェンジがある。面積 34.52km2。人口 9万3576(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by