20世紀日本人名事典 「畠山雄三」の解説 畠山 雄三ハタケヤマ ユウゾウ 明治・大正期の実業家,政治家 秋田魁新報社長;衆院議員。 生年嘉永4年3月13日(1851年) 没年昭和7(1932)年1月24日 出生地出羽国秋田郡(秋田県鷹巣町) 旧姓(旧名)長岐 経歴明治12年秋田県議に当選。政界での活動の傍ら15年に大久保鉄作とともに「秋田日報」を創刊し、同紙の廃刊後は22年から秋田魁新報社社長を務めた。また、畜産事業にも携わり、運送用・乗用・農耕用など多目的に使用できる馬を生み出すために外国産種馬を輸入。獣医学校や畜産品の競り市場整備にも力を入れ、22年には雑種馬を用いた秋田・土崎間の馬車鉄道を開業した。31年衆院議員選挙に出馬し、当選。憲政本党に所属し、2期務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山雄三」の解説 畠山雄三 はたけやま-ゆうぞう 1851-1932 明治-大正時代の実業家,政治家。嘉永(かえい)4年3月13日生まれ。外国産種馬を輸入するなど畜産事業につくす。明治22年秋田-土崎馬車鉄道を創立。同年秋田魁(さきがけ)新報社社長。31年衆議院議員(当選2回,憲政本党)。昭和7年1月24日死去。82歳。出羽(でわ)秋田郡出身。本姓は長岐。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by