白土庄(読み)しらつちのしよう

日本歴史地名大系 「白土庄」の解説

白土庄
しらつちのしよう

永観二年(九八四)と思われる湛照僧都分付帳(東大寺要録)の「雑役免」に「白(土)庄廿二町百八十歩北米富 不輸租田七町九段二百四十歩 勧学院田一町七段 大興寺三町三段二百卅歩 左京職二段二百四十歩 大夫殿位田二町六段小 公田畠十四町二百四十歩」とある。これによると、白地(土)庄は東大寺雑役免田である。

その後、嘉禄元年(一二二五)の官宣旨案(東大寺続要録)では東大寺東南院領のうちに「白土庄」とある。この「東南院御領白土庄内」の水田売券(文永三年、春日神社文書)では、売却する水田の所在について「添上郡京南四条三里廿二坪内」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む