白河宿(読み)しらかわしゆく

日本歴史地名大系 「白河宿」の解説

白河宿
しらかわしゆく

奥州道中の宿で、南の白坂しらさか宿へ一里三三町、北東小田川こたがわ宿へ一里三二町(宿村大概帳)白川とも記された。江戸から当宿までの二七宿は幕府道中奉行の管轄下にあった。奥州道中は当地北方の女石おんないし飯土用いいとよ(現大信村)を経て会津方面に至る白河街道を分岐した。また当宿から東に棚倉たなぐら街道も延びる。天正一八年(一五九〇)以降宿の整備が進められたものとみられるが、本格的な整備は寛永四年(一六二七)丹羽氏白河藩の成立以降である。丹羽氏は白河城下の整備とともに従来の街道を付替え、城下の南西部から入って東に折れ、さらに北に折れる鉤の手状とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報