デジタル大辞泉
「白河市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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白河市
しらかわし
面積:一一七・七二平方キロ
中通りの南端に位置。西に那須連峰がそびえ、東に阿武隈高地、南には八溝山系が連なり、これらの山地に挟まれた台地上に立地する。西は西郷村、北から東は大信村・泉崎村、東は東村・表郷村と三方は西白河郡の五村に囲まれ、南は栃木県那須町に接する。阿武隈川が市のほぼ中央を東流し、谷津田川・高橋川がこれに合流する。南側には南湖から東流する藤野川が社川に注ぐ。JR東北本線・東北新幹線が通り、白河駅・新白河駅などがあり、これとほぼ並行して国道四号・東北自動車道が通じる。古代東山道が通り、白河関が置かれたように、当地は古くから陸奥国の入口とされた。市域は近世まですべて白河郡に属し、市名も郡名に由来する。
〔原始・古代〕
市内ではこれまでに一五〇ほどの遺跡が確認されているが、ほとんどは未調査で、その実態は明らかでない。縄文時代の遺跡では、福島県内でも数少ない草創期の土器片が出土している高山遺跡、小田川字柿ノ木平の二ヵ所が所在する。高山遺跡の所在する台地上に南堀切遺跡が隣接し、早期から後期の遺物が出土し、九×五メートル規模の長楕円形プランを呈する大型住居跡、フラスコ状土坑も検出されている。住居跡内には阿玉台式期の埋設土器があった。黒川沿岸の下黒川遺跡は炉跡・石敷遺構・集石遺構が検出され、大木式・加曾利E式・綱取I式・同II式・堀之内式などの土器が出土。白河関跡からは奈良・平安時代の遺構・遺物のほか、縄文時代中期の竪穴住居跡、前・中期の土器片、また中世の柵列なども検出されている。弥生時代の遺跡は宿尻遺跡・野地久保遺跡・天王山遺跡が知られ、天王山遺跡は炉跡や多数の焼土が検出され、土器・炭化米・アメリカ式石鏃・紡錘車なども出土、弥生時代後期の祭祀的性格の強い遺跡と考えられている。古墳は横穴式が多く、天王山遺跡のある独立丘陵付近を中心に半径三キロ圏内に古墳・遺跡が五〇ヵ所ほど集中する。観音山横穴墓群では金銅製品が多く出土し、金銅製圭頭大刀・銀線蛇腹巻小刀などがある。谷地久保古墳は東西一〇メートル・南北一二メートルを測る山寄せ式の円墳とされ、内部主体は切石によって構築された横口式石槨で畿内的性格の強い典型的な終末期古墳と考えられている。下総塚古墳は横穴式石室を有する前方後円墳で、埴輪盾片が出土している。
「国造本紀」に白河国造がみえ、阿武隈川上流の当地方を支配したと推定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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白河〔市〕
しらかわ
福島県南部,阿武隈川上流域に広がる市。白河盆地と矢吹原の一部を占め,南西で栃木県に接する。 1949年白河町と大沼村が合体して市制。 1954年白坂村,小田川村の2村,さらに 1955年五箇村,表郷村の2村の一部を編入。 2005年表郷村,大信村,東村と合体。 16世紀の中頃,結城氏が築造した小峰城 (旧白河城) の城下町として発展した。天明3 (1783) 年城主となった松平定信は殖産興業に功績を残したが,慶応4 (1868) 年会津戦争の戦火で荒廃した。農村部には米作,野菜・果樹栽培,畜産などの複合経営農家が多い。特殊ガラスなどのガラス,電機・自動車部品,縫製,機械などの工場が進出している。国指定史跡および名勝の南湖公園,奥羽三関の一つで国指定史跡の白河関跡,同じく史跡の白河舟田・本沼遺跡群がある。市域の一部は南湖県立自然公園に属する。東北新幹線,JR東北本線,東北自動車道,国道4号線,289号線,294号線が通る。面積 305.32km2。人口 5万9491(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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