日本歴史地名大系 「白河城下」の解説
白河城下
しらかわじようか
東は阿武隈高地、西に那須山系、南は
丹羽長重は寛永五年に幕府より白河城(小峰城)の築城許可が出ると、その築城・改修とともに城下の町割を行った。従来南東から城下に入っていた奥州道中を、南西から鉤の手状に引入れた。阿武隈川の旧河道を利用した外堀の北側には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東は阿武隈高地、西に那須山系、南は
丹羽長重は寛永五年に幕府より白河城(小峰城)の築城許可が出ると、その築城・改修とともに城下の町割を行った。従来南東から城下に入っていた奥州道中を、南西から鉤の手状に引入れた。阿武隈川の旧河道を利用した外堀の北側には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…また西方の甲子(かつし)高原や甲子温泉にバスが通じている。【大澤 貞一郎】
[白河城下]
陸奥国白河郡の城下町,奥州道中の宿駅。白河関で知られるように,往古から陸奥の表玄関にあたる。…
※「白河城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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