百軒町(読み)ひやつけんまち

日本歴史地名大系 「百軒町」の解説

百軒町
ひやつけんまち

[現在地名]前橋市朝日町あさひちよう一―三丁目

近世末期には東西二町に分れていたが、明治九年(一八七六)統合して百軒町となる。近世には足軽が集住していた。しん町の北に接し、南西端気はけ川を挟んで大塚おおつか町がある。北は一毛いちけ村。松平氏入封後の寛延三年(一七五〇)屋敷割によると、御城代組・小頭とも三一軒、大御目付・小頭とも二〇軒、在方組・小頭とも三四軒、町方組・小頭とも一九軒、物頭拾弐組・小頭とも二五二軒、御武具方役組一五軒の計三七一軒であった(「松平藩日記」同年一二月二三日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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