的形庄(読み)まとがたのしよう

日本歴史地名大系 「的形庄」の解説

的形庄
まとがたのしよう

建武四年(一三三七)六月五日の光厳上皇院宣(岩崎小弥太氏所蔵文書)に的形庄とみえ、方々の違乱をとどめて宮内卿法眼に安堵されている。文和二年(一三五三)には妙法みようほう(現京都市東山区)当知行となっている(同年一〇月日「妙法院当知行目録案」同文書)。当庄は西を松原まつばら庄と接しており、康応二年(一三九〇)にあらためて境が定められた(同年三月二日「松原・的形・福泊庄堺置文」松原八幡神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む