的野半介(読み)マトノ ハンスケ

20世紀日本人名事典 「的野半介」の解説

的野 半介
マトノ ハンスケ

明治・大正期の政治家 衆院議員(憲政会)。



生年
安政5年5月28日(1858年)

没年
大正6(1917)年11月29日

出身地
筑前国福岡(福岡県)

経歴
もと福岡藩士で、漢学を学ぶ。平岡浩太郎・頭山満らの玄洋社社員となり自由党に入る。明治41年から衆院議員(憲政会)に当選3回。また九州日報社長、関門新報社長、遼東新報顧問、若松取引所理事、筑豊坑業組合幹事などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「的野半介」の解説

的野半介 まとの-はんすけ

1858-1917 明治-大正時代の政治家。
安政5年5月28日生まれ。もと筑前(ちくぜん)福岡藩士。平岡浩太郎,頭山満らの玄洋社の社員となり自由党にはいる。明治41年衆議院議員(当選3回,憲政会)。九州日報社長などをつとめた。大正6年11月29日死去。60歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android