皆川氏(読み)みながわうじ

改訂新版 世界大百科事典 「皆川氏」の意味・わかりやすい解説

皆川氏 (みながわうじ)

下野出身の中・近世武家。小山氏一族小山政光の次男長沼宗政の孫,宗員が下野国都賀郡皆川荘に住して,皆川四郎左衛門尉を称したのに始まる。その子孫はやがて皆川の地を失い,室町期には代わって,宗員の弟長沼宗泰の系統が皆川城に拠って皆川氏を称するに至った。その後裔俊宗の子広照は宇都宮氏,佐竹氏,小田原北条氏に対抗,1590年(天正18)豊臣秀吉小田原征伐に際しては,小田原城にこもった。しかし4月8日に城を出て降ったため,秀吉は本領皆川1万3000石を安堵し,徳川家康に属させた。1603年(慶長8)家康の子松平忠輝の傅として,信濃飯山7万5000石に加増。しかし他の老臣らとともに忠輝と争って09年改易され,後に子隆庸とともに常陸府中で合わせて1万5000石を与えられた。隆庸の子成郷に嗣子がなかったため,45年(正保2)領地を没収されたが,その一族は旗本として残る。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の皆川氏の言及

【長沼氏】より

…南北朝期以降,下野の国人として鎌倉府に仕え,1396年(応永3)ころ,一時義秀は下野守護となり,上杉禅秀の乱で戦功があり勢力を伸ばしたが,秀宗は永享の乱では鎌倉公方足利持氏に従い,鎌倉で自害した。その子氏秀は結城合戦で上杉方に属し戦功をあげ,下野皆川荘に家を再興し,戦国時代の下野西南部の一勢力皆川氏の基礎を作った。【峰岸 純夫】。…

※「皆川氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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