相良為続(読み)さがら・ためつぐ

朝日日本歴史人物事典 「相良為続」の解説

相良為続

没年:明応9.6.4(1500.6.30)
生年:文安4(1447)
戦国時代武将。長続の子。応仁1(1467)年家督を相続し,細川方に属して応仁の乱に参加。文明8(1476)年島津氏から薩摩国牛屎院を奪い,同16年には名和顕忠を破って八代を支配下に収めた。翌年の阿蘇大宮司の後継者争い(幕の 平合戦)では,阿蘇惟憲を支持して守護菊池重朝が押す阿蘇惟家を破り,政治的地位を高めた。明応2(1493)年には「為続法度七箇条」を定めて相良氏法度の先駆けとなる。文人としても知られ,宗祇の『新撰【G7EDF玖波/つ/く/ば】集』に九州の大名でただひとり5句を残す。『連歌草子』は自詠の歌集。なお,『八代日記』は6月20日没とする。<参考文献>『相良家文書

(柳田快明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相良為続」の解説

相良為続 さがら-ためつぐ

1447-1500 室町-戦国時代の武将。
文安4年生まれ。相良長続(ながつぐ)の3男。肥後(熊本県)人吉城主。名和氏とあらそい,八代古麓(ふるふもと)に進出し,さらに益城(ましき)郡の豊福城をえたが,明応8年菊池能運(よしかず)に敗れ,人吉城にもどる。明応2年「相良氏法度七ヵ条」をさだめた。連歌にすぐれ「新撰菟玖波(つくば)集」に入集。明応9年6月4日死去。54歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の相良為続の言及

【相良氏】より

…遠江出身の中・近世武家。鎌倉時代,肥後国人吉荘等の地頭となる。近世には人吉藩主。藤原南家乙麻呂流で,伊豆の豪族伊東氏や工藤氏と同族。平安後期周頼が遠江国佐野郡相良荘(現,静岡県榛原郡相良町)に住し,以来相良氏を称するにいたったという。周頼4代の孫頼景およびその子長頼は関東御家人となり源頼朝に仕えた。頼景は1193年(建久4)肥後国球磨郡多良木荘の地頭として下向したと伝えられる。一方長頼(蓮仏)は98年,平頼盛の代官矢瀬主馬助を退けて,球磨郡人吉荘に入ったというが,いずれも確証はない。…

※「相良為続」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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