朝日日本歴史人物事典 「相良為続」の解説
相良為続
生年:文安4(1447)
戦国時代の武将。長続の子。応仁1(1467)年家督を相続し,細川方に属して応仁の乱に参加。文明8(1476)年島津氏から薩摩国牛屎院を奪い,同16年には名和顕忠を破って八代を支配下に収めた。翌年の阿蘇大宮司の後継者争い(幕の 平合戦)では,阿蘇惟憲を支持して守護菊池重朝が押す阿蘇惟家を破り,政治的地位を高めた。明応2(1493)年には「為続法度七箇条」を定めて相良氏法度の先駆けとなる。文人としても知られ,宗祇の『新撰【G7EDF玖波/つ/く/ば】集』に九州の大名でただひとり5句を残す。『連歌草子』は自詠の歌集。なお,『八代日記』は6月20日没とする。<参考文献>『相良家文書』
(柳田快明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報