朝日日本歴史人物事典 「相良長続」の解説
相良長続
生年:応永18(1411)
室町時代の武将。肥後国(熊本県)球磨郡山田城主永富実重の子。下(人吉)相良氏の一庶子家で人吉荘内永富名が本貫か。文安4(1447)年幼少の当主尭頼は,上(多良木)相良氏の頼観・頼仙兄弟の攻撃を受け没落。頼観らを駆逐し人吉を回復した長続は,尭頼に復帰を要請するがその急死により,自ら人吉城主となる。久米雀ケ森の合戦で頼観兄弟を全滅させて多良木も掌握,初めて相良氏を統一し,球磨郡全体を支配。寛正4(1463)年に菊池為邦から芦北郡の領有を認められ,応仁1(1467)年の応仁の乱では細川方に属した。相良氏史上のみならず全国でも有数の下剋上の先蹤か。<参考文献>服部英雄「戦国相良氏の誕生」(『日本歴史』388号)
(柳田快明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報