日本歴史地名大系 「真玉橋」の解説 真玉橋まだんばし 沖縄県:沖縄島南部豊見城市真玉橋村真玉橋近世の豊見城(とうみぐすく)間切と真和志(まーじ)間切の境を西に流れ、漫(まん)湖を経て東シナ海に流れ出る国場(こくば)川に架かる橋。真玉橋(まだんばし)村と国場(くくば)村(現那覇市)を結んでいた。橋を北へ渡ると真玉(まだま)道が首里に向かう。嘉靖元年(一五二二)に建立された真珠湊碑(県立博物館蔵)の碑文によると、この橋は国民のため、また国政のため、それから根立て樋川の水と豊見城(とみぐすく)を守るために架けられたもので、いざというときは首里城の軍隊と南風原(ふえーばる)・島添大里(しましーうーざとう)・知念(ちにん)・佐敷(さしち)は当橋を渡り、下島尻(しもしましり)とともに垣花(かちぬはな)(現那覇市)に勢揃いして警備にあたれとある。道光一七年(一八三七)の重修真玉橋碑(真玉橋公民館蔵)の碑文によれば、橋は五つの木橋からなっていた。中央の橋が真玉橋(雲久(くむく)橋とも)で南側の橋が世持(ゆむち)橋、北側の橋が世寄(ゆゆし)橋、さらに両外側に名のない橋が架けられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by